幻の世界遺産!?「上毛モスリン」。館林城趾に建てられた工場群

【上毛モスリン株式会社】
今ではモスリン新道という言葉に残るのみ。(今は使われていないのかも・・・・)
明治は遠く×2 なりにけり。
「懐かしの古写真ギャラリー」サイトは上毛モスリンの歴史を紹介するページではありません。上毛モスリンが工場を建てた敷地が館林城の本丸、二の丸だったということがポイントです。写真に写っているかつての館林城の一部(濠、土塁、城沼、三の丸など)をもとに城の全体象をイメージしてもらいたいのです。土塁の場所、濠などを写真から読み取ることが可能です

 それにしても、素晴らしい写真。上毛モスリンの建築群がこのまま残っていたら、富岡製糸工場の世界遺産に紛れ込むことも可能でしたね。
写真の提供は保育園の同級生で文化史談会のKさん。Kさんは明治以降の館林の近代遺産を研究しています。 「上毛モスリン株式会社社史〜明治から大正にかけて躍動した館林〜」(発行2008年)を出版されました。
今回お見せする写真は、「上毛モスリン」新工場落成記念のアルバムです。業績を拡大させた上毛モスリンは1910年(明治43年)に館林城趾に工場を建設します。明治43年3月に落成記念式を開催。その時の写真。 写真は高解像度なので拡大してみると、そこには明治43年の風が写っていました。タイムスリップして楽しみましょう。
今から104年前の風と空気を感じてください。(2014/08/16 アップ)

【上毛モスリンの写真を楽しむ前の予備知識】

まずは、絵図をごらんください。上毛モスリン略図▲城の絵図と上毛モスリンの略図を比べると、ほぼ城郭はそのまま利用されている。この略図を参考にして下の写真がどの位置から撮影されたものか考えると楽しみも倍増。たとえば、全景は三の丸にカメラを設置して二の丸に向かって撮影された。
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上毛モスリン全景着色 ▲明治43年3月上毛モスリン落成式当日。工場の全景。撮影場所は三の丸の中央に櫓を組んで撮影したと思われる。
写真のカラー化は館林城の再建をめざす会 田中茂雄が制作。(2014年8月)
上毛モスリン正門拡大
▲全体写真の正面ゲート付近を拡大しました。
▼以下の写真は正面ゲートの内側。事務所の東側から撮影されています。
2枚の写真を交互に見比べると、立体的な視点が得られます。上毛モスリン事務所棟カラー上毛モスリン落成記念ゲート▲左端の装飾された門は落成式記念ゲート。多くの招待客を迎える緊張感が写っている。
ゲートの前には人力車が見える。スローシャッターの画像なので、ゲートを通り抜ける人影が動画のように見えるね。不思議なリアリティがあります。上毛モスリン ▲さらに拡大。洋装で正装した紳士の上着の胸にポケットチーフが見える。
事務所正面玄関に飾られた2本の旗は国旗と社旗だろうか。風に揺らいでいいる。 明治43年3月の風が写真に捉えられている。
フロックコートの紳士は代表取締役か?はっぴ姿のおじさんは建築関係の頭か?
上毛モスリン裏口▲事務所棟東側の通用口。小さくてかわいい。左の窓枠の上部に電線が引かれている。
電気が使用されていた。 上毛モスリンは工場内に発電設備を備えていた。(71馬力45KW発電機2台設置)
現在の上毛モスリン▲現在の上毛モスリン事務所棟。昭和56年(1981) 元の場所から北東へ移築された。移築された場所は本丸北側の濠のなかである。竣工当時の写真と比較してもそのままだ。建物の色彩は調べてません。(2012年撮影) (2014/08/16アップ)

【上毛モスリン機関室】
煉瓦の建物は機関室。とても明治時代の館林で撮影されたとは思えない。
煉瓦の建物と黒く光るボイラーの組み合わせは、マンチェスターかオックスフォードか、はたまたシカゴかニューヨークか・・・・。近代産業遺産としての輝きを放つ写真だ。富岡にも負けないね。ただし、富岡はジャパンを代表する絹・シルク。上毛モスリンは残念ながら毛織物だ。※モスリン、平織り、薄手の羊毛生地、薄地で柔らかくて暖かいウール衣料素材。戦前、普段着の着物として使われた。

上毛モスリン機関室▲機関室全景。手前のボイラーの表情がたまらない。煉瓦とスチールとスチーム、まさに産業革命の3点セット。明治維新から40年。ようやく西洋にキャッチアップした館林がここにある。しかしこの場所はちょうど二の丸。綱吉時代なら城代の金田遠江守の屋敷にあたる場所だ。上毛モスリン機械室01機関室の外に設置されたものは石炭を燃料としたボイラーだろう。 操作する技師が2名、記念撮影なので山高帽着用(シルクハットのようにも見える)の正装した支配人らしき紳士が写っている。
当時の支配人は家富忠三郎氏上毛モスリン機関室02
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【機関室内部】
煉瓦の建物「機関室」の内部。2014年6月に館林市が発行した「写真で見る館林」11Pに同じ写真が掲載されている。
その説明として「機械を動かす大型モーターで、外国人技師の姿が見られる。」と記されていた。
その記述は正しいのか?。疑問を感じる。
というのは写真の出典は上毛モスリンが制作した写真アルバム。そのアルバムには写真の説明は何もないのだ。当時の工場略図には「機関室」と書かれているので、機関つまりエンジンだ。動力源は電気なので、モーターで機械を動かすのだが、写真をよく見ると機械上部に大きな配管が横切っている。これは煉瓦の建物の外のボイラーで発生させた蒸気を送る配管ではないだろうか? その蒸気でタービンを回して発電したのではないか。
上毛モスリンは発電機(71馬力45KW)を2台設置したので、その発電機と考えるのが妥当だ。機械の形状を観察すると同じ構造が2台並んでいるのが分かる。モーターではないと判断。
(こうした設備に詳しいプラントエンジニアの方、メール下さい。お願いします!)
発電機の奥にモーターがあるのでは。右端に大きなワイヤーロープが見える。(ロープウェイのような)これで動力を伝えるのでは?
上毛モスリン機関室内部▲写真全景、外国人技師と日本人技師は下の拡大写真でどうぞ。
外国人技師▲織機はドイツ製なので、技師はドイツ人だろう。それにしても二人のファッションは今と変わらない。撮影は1910年なので今から100年前!  男性のスーツ(仕事服)は変化しないということだ。上毛モスリン発電機▲機械上部の配管に注目。モーターならこの配管はいらないはずだ。この配管で高温の蒸気を通しタービンを動かす。それで発電したのだろう。(あくまで、写真を詳しくチェックした田中茂雄の判断です。発電機と書かれた資料を見たのではありません。)2014/08/19アップ
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まだまだ貴重な写真があります。乞うご期待。

【2014年9月6日工場内写真4点アップ】
この美しい写真を御覧あれ。100年前の館林にかくも見事な近代工場がありました。
上毛モスリン工場内01
▲工場の北側。入江堀に面した(館林女子高側)「機織室」の写真。明治43年。
工場稼働初期のため多くのエンジニアが見守っている。天井部にはシャフトとホイールとベルトが見える。
機関室で発電し、モーターを廻しワイヤーで動力を伝え、各工場の天井に設置されたシャフトを回す。シャフトにはホイールが付けられて、ベルトを掛けて織機の動力としている。写真で読み取れる。
のこぎり形の天井から差し込む光は画家のアトリエの光に似て柔らかく室内を包んでいる。美しい空間だ。
この空間は、現・館林市庁舎が建てられるまで残っていたのだ。(昭和54年に取り壊された)
上毛モスリン解体コラム

この建築を保存し図書館としてリノベーションしたら、世界に誇れる素晴らしい図書館が出来ただろう。当然その図書館にカフェも併設する。そのカフェの店長をやりたいね。東京から多くの観光客が訪れるに違いない。お隣の足利にも佐野にも太田にもない文化的な施設だ。羽生のイオンにも負けないね。
この空間でおいしいコーヒーを飲みたい。そして本を読む。至福の時間が流れる。館林市民の最高の贅沢だ。(夢)


次の写真はエンジニアのアップ。人民服のような制服が不思議。天井のベルトもよく分かる。電灯の笠もオシャレ。
上毛モスリン機織り室

▼次の写真も工場内写真ベストショット。
工場の南側に建つ「撚糸室」の写真。モスリンは羊毛の織物。羊毛と言ってもスーツのような素材ではない。薄くて軽いのだ。
原料は羊毛で、これは輸入された。トップという原料(羊毛)を細い糸に撚ってモスリン織りに適した糸に加工していた。
この写真もとても美しい。(高解像度の写真をのこしてくれて感謝)

▲「撚糸室」原料の羊毛から細い糸に撚り上げていく。左に立つエンジニアの表情が渋い。
上毛モスリンの新工場で使われた精紡機はイギリス製のミュール精紡機が使用された。工場内に256台設置された。
上毛モスリン撚糸室▲右の女工さんをアップ。きれいに髪を結い、袴をはいている。足袋をはき靴か下駄か草履か分からない。腰に作業のための道具を入れるポーチを巻いている。
女工さんというとなんだかブラック企業に勤める哀しいイメージがあるが、それは一部の特殊な歴史家が意図的に誇張したものだ。富岡製糸にしても女工さん達は近代産業のトップランナーとして気概をもって働いていたのだ。立ち姿が自信に満ちて美しい。
上毛モスリン製糸室02

●次回は機械についての説明をします。
館林城の再建をめざす会の会員である塚場町の荒島氏の父がかつて館林で毛織物の工場を経営していました。専門家ですので上毛モスリンで使われていた機械の解読をお願いしました。(貴重な写真が納められたアルバムには一切説明がない。)
次回をお楽しみに。

【上毛モスリンの機械】

織物の機械を荒島氏のお父さんに伺いました。事前の予備知識として織物について調べると、織物は縦に張り渡した糸、「経糸(たていと、warp)」に、横方向の糸、「緯糸(よこいと、woof、weft)」を交差させて作る。織機はこれを行うための機械。経糸はビーム(beam)と呼ばれる横棒2本の間に張られ、その間に緯糸を通すためのひ(シャトル、shuttle)、経糸の間にシャトルが一気に通る隙間(杼口、ひぐち、shed)を開けるための綜絖(そうこう、ヘドル、heddle)、綜絖を固定するシャフト(綜絖枠、shaft)、シャフトを上下させ経糸を開口させる踏み板(ペダル、pedal / treadle)、経糸を横幅どおりに配置し通った横糸を打ち込むための、櫛の目が並んだような形態の筬(おさ、リード、reed)などが配置されている。 (ウィキより)製経機▲織物の経糸を織る機械。
メインの織機は3つ上の写真をご覧下さい。縮じゅう機▲織り上がった布は平ではない。ちょうどアイロンをかけるように熱と蒸気で布を平にして製品化する。検反機▲製品の検品。奥に完成されたモスリンの布地が積み上げられている。検品の女性は威厳のある立ち姿。写真撮影に指名されるのだから、責任者に違いない。

【寄宿舎、食堂】

上毛モスリン寄宿舎
上毛モスリン食堂
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