【1963年へタイムトラベル】
館林市庁舎竣工時の世相を調べた。
昭和38年。東京オリンピックの前年。館林も日本も世界も前向きだった。
振り返れば、館林の(江戸時代以後)ピークの年が1963年。断言できる。


1963年の世相をご紹介。(1963年をリアルに体験した小学生に戻って紹介)
館林市南小学校5年生として新年を迎え、4月に小学6年生になった。
半分大人で半分こどもの12歳。微妙な年だ。
大人とこども両方の目で見て、感じた1963年とは・・・・。

【1963年の音楽シーン】
昭和26年生まれ世代は、音楽に影響を受けたジェネレーション。

音楽シーン1963年▲テレビが我が家に来たのが小学3年の時、完全にTVっ子になってしまった。親もうるさくなかったし好きな番組を見ることができた。華やかな世界へのあこがれは音楽バラエティー番組から始まった。「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒットパレード」「夢であいましょう」3つの番組に夢中になった。
永六輔、中村八大コンビのオシャレでしかも詩の内容がすばらしく小学生の心に届いた。それと渡辺プロダクションのタレント達。
特にクレージーキャッツが大好きで、その後の人生に多大な影響をうけてしまった。(名曲「見ろよ、青い空。白い雲。そのうちなんとかなるだろう。」・・・その通り。小学6年生もストレスがあったのかもしれない。サクサクとC調で何事も上手く進めてしまう植木等に気持ちが救われたのだ。)
歌謡曲の洗礼も受けていたが、植木等の明るさの前には、ひ弱な印象であった。この年、歌謡曲でのヒットは舟木一夫の「高校3年生」だ。たまたま小六で卒業シーズンと重なったのだ。 南小学校は中学で二分される。一中と二中だ。別れが刺さる言葉だった。
(「僕ら、離ればなれになろうとも、クラス仲間はいつまでも〜」)


【ビートルズを聴きショックを受ける】
鮮明に覚えているが、小六の時ラジオから「プリーズプリーズミー」が流れた。昼間のことだ。日の当たる縁側で遊んでいた。突然に耳に飛び込んできたメロディーに心が奪われた。
雷に打たれるという表現が最もふさわしい。一瞬で好きになった。

コラム●
多感な11〜12歳の時に音楽のビッグバン(ビートルズ)に遭遇した日本の少年少女は沢山いた。 革新的音楽の洗練を受けた世代はミュージシャンとして才能を開花させた。(私たちの世代はミュージシャンが多い。)
五輪真弓、近田春夫、藤圭子、鈴木慶一、忌野清志郎、鈴木茂、松任谷正隆、坂本龍一(昭和27年1月)、中島みゆき(昭和27年2月)
一学年下にさだまさし、浜田省吾。二つ下に荒井由実がいる。

【1963年の洋楽はまさに奇蹟の年だった】
イギリスでビートルズのファーストアルバムが発売されたのが1963年3月。
そしてノーベル賞作家・ボブディランの「風に吹かれて」も1963年5月だ。
「風に吹かれて」を聞き始めたのは実は中学生になってからだ、フォークソングのブームは中学になってからだった。 PPMが歌った「風に吹かれて」が先に流行った。「パフ」(パフ ザ マジック ドラゴン〜)も流行ったなあ。(「500マイル」「花はどこへ行った」もよかった、)
個人的に大好きだったのが、ザ・ロネッツの「ビィマイベイビー」だ。
(弘田三枝子が「あたしのベイビー」の邦題で唄っていた曲が先だったが・・。)
「Be My Baby」のサウンドは今でも心が揺さぶられる。(才人・大瀧詠一も大絶賛していた曲だ)

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【1963年の映画について】
私が住んでいた鷹匠町833番地から徒歩5分以内に映画館が3軒あった。
洋画の「清流」。お隣には「大映」。片町には「館林キネマ」。8分歩けば、東映映画の「館林クラブ」があった。
この環境なので、映画をよく見た。(小遣いが足りなかったから全部を見たわけでないが、映画館前のポスターと映画の内容を紹介する写真をよく見ていた。(昔の映画館はキャビネサイズの写真が何点も貼ってあったし、映画の看板も楽しめた。(職人が描いて一点一点描くのだ出来不出来がある。それでも、ワクワクする演出だった。)

音楽同様、映画も当たり年だった。
ポスター画像を紹介するので見てもらいたい。驚くべき濃い内容の1年だったとわかる。
すごすぎる。歴史活劇、007、ヒッチコック、世界のクロサワ、仏映画・・・・名作、大作、佳作のオンパレード。
こんな時代は二度と来ない。
196年映画シーン

▲洋画は映画史に残る名作ばかり。
比較して、邦画は脳天気で明るい。それも良かった。
喜劇ばかりが目立つなか、加山雄三主演 「ハワイの若大将」の併映作品「マタンゴ」に衝撃を受けた。しばらくキノコが苦手になった。当時は知らなかったが、脚本にSF作家の星新一が参加していたのだ。やはりね・・・。
恐かったけど、ストーリーが素晴らしい。個人的に大好きな映画。

黒沢映画の「天国と地獄」は公開当時観てなかった。翌年公開された「赤ひげ」は観た。
61年「用心棒」、62年「椿三十郎」と時代劇のイメージが強かったので、三船のスーツ姿に食指が動かなかった。

小学生に受けたのが「わんぱく戦争」。たしかTVコマーシャルもあったとおもう。素っ裸がこどもに受けたのだ。ビジュアルだけで大受けした記憶に残る映画だった。

【館林ロケを敢行した『喜劇・駅前茶釜』】 市庁舎完成直後の7月に公開された。
今思えば、この頃が館林の絶頂期だった。(半世紀経ての感想!)
館林市民のほとんどが映画館に足を運んだと思う。特に鷹匠町でロケをしたので、私の町内はほぼ全員が観たはず。
昨年(2016年5月)阿佐ヶ谷の映画館で特別上映されたので観に行った。懐かしいだけで、イマイチ。
1963年当時の大人たちは、あの映画で喜んだのか?なぞだ??。ただし、往年の喜劇役者の芸は巧い。のり平が秀逸。

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つづく
こどもを夢中にさせたTV番組のことを紹介予定。
1963年1月。アニメのパイオニア「鉄腕アトム」放送開始。
8月「鉄人28号」放送開始。などなど、資料を集めて紹介します。
1963アニメ
▲ ともに、1963年昭和38年放送開始なのだ。いけいけGoGoの空気を感じるふたつのアニメ。飛び方がそっくりだ。
1963年ってすごい年だった。
乞うご期待。


(2017年4月25日アップ)

【1963年放送開始したテレビ番組】 日本が誇るアニメ文化がスタートした年だ。
1月1日 
国産テレビアニメ第1号『鉄腕アトム』放映開始。(手塚治虫 虫プロ) - 1966年12月31日まで。
4月7日   NHK大河ドラマ第1作『花の生涯』放送開始。※大河ドラマも長いね。こどもにとって第1作は面白くなかった。
6月 2日 バラエティ番組『底ぬけ脱線ゲーム』放送開始。金原二郎の司会。 - 1973年1月25日まで。。
8月 2日  ミヤコ蝶々と南都雄二の司会による『夫婦善哉』が放送開始。 - 1975年9月27日まで。※こどもだったが観ていた。
10月 6日 クイズ番組『アップダウンクイズ』放送開始。
10月 20日 横山光輝原作の アニメ『鉄人28号』 放映開始( - 1966年5月25日まで。
11月 7日  桑田次郎の漫画 アニメ『エイトマン』)放映開始。 - 1964年12月31日まで。
11月23日 日米衛星中継試験放送を実施。第1報でケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込んだ。
     (この日、南小 の同級生・船橋くんの家に遊びにいっていた。ニュースをよく覚えている)
11月24日 東映動画 アニメ第1号『狼少年ケン』放映開始。 - 1965年8月16日まで。
12月 1日 夢路いとし・喜味こいし司会によるゲームバラエティ番組『がっちり買いまショウ』放送開始。 - 1975年11月30日)。
12月12日  教養ドキュメンタリー番組『野生の王国』放送開始。 - 1990年9月21日まで。

【おもな高視聴率番組】 ※自分が観た番組のみ選んでます。
81.4% 第14回NHK紅白歌合戦。すごい視聴率だ。
テレビ普及率が88.7%へ上昇。まさにTV界のビッグバン!
66.7% プロレス・WWA世界選手権無制限一本勝負「デストロイヤー×力道山」日本テレビ、5月24日
(デストロイヤーの「4の字固め」が小学生に大流行。休み時間に何組もの「4の字固め」をかけたこどもペアが床に転がっていた。技のかけ方を研究したものだ。技をマスターしたこどもがヒーローになるのだ。懐かしいね)
55.3% 「ベン・ケーシー」 (TBS、1月11日)
45.1%  「お笑い三人組」(NHK総合、6月4日)
43.9%  「ディズニーランド」(日本テレビ、1月11日)
43.7%  「ジェスチャー」(NHK総合、5月21日)
40.9%  「てなもんや三度笠」(TBS、11月24日)
40.5%  「若い季節」(NHK総合、2月3日)

【とにかく、よくTVを観た】
当時 TVの弊害を説く親もいたが、少数派だったし、気にしなかった。
何しろこどもには時間が沢山あったのだ。塾へ通う子も少ないし、お稽古事を習っているこどもは稀少だった。(私は小学4年からそろばん教室(石橋珠算教室)へ通っただけ、6年生でやめた。上達しなかったし、いずれ計算機ができると思ったからだ。とにかく未来世界を描いたアニメを多く観ていたので予測できた。それは正解だった。)

朝起きる。学校行く。家へ帰る(カバンを放り投げて、遊びに行く)。学校側の文英堂(駄菓子や)にいく。
友達に会う、校庭で遊ぶ。夕方になる、歩いて帰る。TVを観る。夕食時もテレビを観て食べる。食後、テレビを観る。
風呂に入る。寝る。以上が私の小学6年生時代の生活パターン。

それと学校の休み時間に「少年マガジン」と「少年サンデー」を読む。学校にマンガを持ち込むのは自由だった。廻し読みが普通のことだ。パラダイスのような明るい1963年の小学生生活。時代が良かった。そうした時代を作った親たちも偉かった。木村校長(南小校長)も偉かったね。(うるさいこともいわず・・・)
          ●
おかげで、膨大な知識がインプットされた。
未来予測。アメリカの歴史。都合の良い西部劇。豊かなアメリカの家庭。アメリカドラマ。バラエティ番組。落語や漫談、漫才・・・。音楽。ビートルズ。映画。アニメ。全てが人生の先生だった。
(しかし、ほんとんど読書してないなぁ。南小の図書係だったのに・・・。「レオナルド・ダ・ビンチ」の伝記を読んで影響されただけだ。それと渡辺崋山。小説は読んでない。)

さすがに中学になると、勉強時間を確保するようになったが。それでもTVは見続けた。
奥様は魔女」「逃亡者」、アメリカのTV番組が大好きだった。

(2017/04/29アップ)
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