最新情報/館林城調査・研究・提案

【2017年4月春。お気に入りの館林をご紹介】
My fovrite 館林--さくらの季節

4月2日(日)館林市市議補欠選挙(同級生・渋谷理津子 サクラサク当選)、
9日(日)空手道場のこども達10名が初めての公式大会である港区空手競技大会に出場。無事終了し、ほっと一息。

折しも満開の桜が散り始めている。
13日(目)、14日(金)は暖かい好天。空手指導の前に館林の魅力を伝えるために撮影に。
(職業・アートディレクターなので写真の心得はある。学生時代、写真の授業もあった。モノクロなら現像・プリント得意です。)
カメラ片手にお散歩。
美しい写真撮れました

まずは尾曳稲荷神社
尾曳神社
夜明け稲荷、宵稲荷神社

今年、8月までに絵本「キツネが教えた城づくり」を出版予定。準備中。
(伝説に登場する3つの神社を紹介するのでその撮影も兼ねている。)
▲夜明け稲荷の狛狐。5歳の頃、狛狐によじ登りまたがって、キツネもろとも地面に転落した。かすり傷ひとつ無かったのはキツネのご加護。お礼に絵本を自費出版します。
夜明け稲荷の桜は八重桜なので、来週が見頃。しべの稲荷の境内に桜がない。残念。

館林カトリック教会
館林カトリック教会
▲ここが群馬県とは思えない風景だ。
バルビゾン派、コローの風景画をイメージさせる佇まい。館林で唯一西欧の風が吹いていた。
素晴らしい建物もすでの築60年ちかくなる。私は小4年 or 5年生のときに日曜学校に通い始めた。
美しい聖堂、明るい庭。牧野神父。小倉神父・・・・55年前の記憶が甦る。
(中学1年まで通ったが、洗礼を受けませんでした。すでに山本七平先生がいうところの日本教徒だったので)
それでも、カトリックにはシンパシーを感じてます。
館林カトリック教会(当時はカソリック教会)の建築は館林の宝物。誇れる財産です。

桜が映える旧・館林市庁舎 
館林市庁舎▲2017年4月、「館林市庁舎保存プロジェクト」 をスタートしました。調査活動に邁進してます。
新たな発見も多々あり、順次このサイトで発表します。館林城天主を再建するまで、館林のシンボルであり続ける建築なのです。
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驚愕の嬉しい事実を紹介。
例えば、設計はご存知菊竹清訓だが、担当者はなんと内井昭蔵(建築学会賞受賞)だ。 ほかに小川淳、土井鷹雄、武者英二・・・ 建築界のスターたちが名を連ねている。(建築家なら誰でも知っている人達だ)
構造設計は大家・松井源吾(建築学会賞、工学博士、早稲田大学名誉教授。松井源吾賞創設)だ。すごすぎる。
 そして最も驚いた大発見は、 色彩計画とサイン計画を担当した人物が、なんと
グラフィック界の巨星、巨人、天才、良心、田中一光先生がなさったのだ。 ははっ。(ひれ伏します)
デザイナーの末端に位置するわたしとしては、田中一光先生が館林をなんども訪れたことに感激してます。

その作品が、現在も使われいるのがすごいことだ。偉いぞ館林。
建築とデザイン界にとって重要文化財の建物が館林に存在する。大切に守りましょう。

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常光寺▲旧館林市庁舎の北側に「常光寺」がある。大屋根が美しい寺院。
岡谷瑳磨介の息子・南條新六郎氏(嘉永元年〜大正9年)が眠っている。 南條氏は長澤理玄により群馬県で初めて種痘をうけた4人のこどもの一人。 実業家となって館林に多大な貢献(町長・熊谷直方と協力して館林に鉄道を誘致)した。日本製粉創業者のひとりでもある。

註)日本製粉(ニップン)社史より引用。明治29年6月 南条新六郎は長尾三十郎、恒川新助、笠原円蔵、境豊吉、志摩万次郎、立川健蔵を招き、日本製粉株式会社の創立および機械製粉工場の設立計画をはかる。と書かれている。日本製粉の始まりである。
館林は日清製粉と日本製粉二つの製粉会社を誕生させた。起業家精神のDNAはどこへ行った。

また、長澤理玄の弟子・遠山元長の息子で医学博士の遠山椿吉氏が長澤理玄の伝記を記すさい、館林に調査に訪れた。理玄が建てた病院などの詳細や理玄の活動を教えたのも南條新六郎。(感謝)
 余談:個人的なことだが、私が生まれた鷹匠町833番地の土地所有者は南條家でした。大家さんですß∑。
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美しい常光寺ですが、南面の外壁を補修していました。本来の素材を使用した補修です。
こうしたていねいな仕事の積み重ねが町の景観を守るのですね。
素晴らしいので勝手に撮影してしまいました。問題があれば削除します。(田中)

撮影後は「さのや」の草もち(春のソウルフード)を購入。館林の草餅はどの店も美味しい。
自信を持って全国にアピールすべき。売れます。

(2017年4月15日アップ)