最新情報/館林城調査・研究・提案
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- 「渡良瀬通信」2015年4月号。インタビュー記事
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- 2015年2月 足利で館林城の講演
- 2015年1月 ニュース
- 2014年11〜12月ニュース
- 絵はがき/城下町城門シリーズ、新聞記事
- 館林城・絵はがき/城下町城門シリーズ
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- 安西水丸著「ちいさな城下町」
- 万延元年 遣米使節 子孫の会
- 館林(秋元)藩 石高 [表高と内高]
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- 館林女子高ボクシング部記事
- 歴史好きにオススメの経済本
- お城再建事例01[山形城]いくらかかるの?
- 「長澤理玄展」2014年5月
- 「さよなら名建築」またひとつ景観が
- 「甦れ!江戸城天守閣」(著者:松沢成文)
- 「剣術修行の旅日記」(館林藩校道場の記述)
- 旧・二業見番(勝手に重文企画)
- 館林城を講演でアピール
- 明和町S氏邸にある綱吉時代の石垣石
- 2013年東京都シニア空手大会準優勝
- 長澤理玄プロジェクト
- 読売新聞掲載2013年11月1日
- 「よみがえる館林城展in足利」
- 種痘の碑(山形市)
- 日光脇往還・杉並木
- よみがえる館林城展オープニングパーティー
- よみがえる館林城展プラス情報
- 上毛新聞掲載2013年5月2日
- 上毛新聞・シャトル連載2013年4月
- よみがえる館林城展2013
- 石垣石探検隊
- 上毛新聞掲載2012年10月
- 「東北遊日記」吉田松陰
- 「お国替絵巻」山田音羽子
- 館林城絵馬(尾曳稲荷社蔵)
- 館林城・絵はがき
- 城下町散歩
- 堀・(土塁)調査
- 建築家による館林城研究
- 三重櫓・研究
- 榊原康政・調査
- 館林城調査
【2017年7月20日(木)館林市邑楽地区足高同窓会 総会・懇親会】
館林城の再建をめざす会の支援母体?
母校・栃木県立足利高等学校、通称「足高(あしたか)」。
卒業後ほとんど顧みることがなかった。お隣・足利市の高校なのでなおさら無縁。
昭和40年代、両毛地区の進学校として有名であった足高。私もあこがれて入学。昭和43年のことだ。
高校時代、美術教師・石井先生の影響もありアートへのあこがれが強くなり美術部へ入部する。それでも絵を志し画家になる勇気はなかった。
当時の足高でアート系への進路を選択する生徒はいない。異端者扱いだ。足高は入学から卒業までの3年間クラス替えをしない。担任も同じ。男子校。1クラス50人、全6クラス。1学年300人の男子のみ。
優秀な
努力家が多く、まじめな生徒が多数をしめていた。もちろん私もまじめな生徒のひとりであったが・・・。高校3年、日本育英会の特別奨学生(お金をほとんど返さなくていいヤツ)に合格した。
美大に行きたい! 進路指導で担任に告げたとき、頭から否定された。結局あきらめてしまった。(根性ないなあ)
担任・青柳先生の名誉のために補足すると、その後、玉川大学の美術学部に推薦枠があるがどうする?。と気にかけていただいた。
当時の私は玉川大学なんて聞いたこともなく、とんでもない田舎の大学と勘違いして断ってしまった。
(女優・薬師丸ひろこが通った学園が玉川だ、多摩地区のお嬢様学校と知ったのは後になってから、残念な事をしたものだ)
どうにもならなくなり、意味もなく大学に進学した。
(1970年、昭和45年のことだ。吉祥寺のサンロードにバスが通っていて1年後アーケードができサンロードとなった。東急百貨店の場所にはオリンピックという商業ビル(スーパー)があった。野口伊織氏が経営するJAZZ喫茶「ファンキー」がすでにあり将来の吉祥寺の発展を予感させた。井の頭公園も、焼き鳥名店「いせや」もすでに健在だった。隠れた名店・喫茶店も数多く、ワンダーランド吉祥寺を堪能した。なにしろ学生だったので、時間だけはたっぷりとあったのだ。私は井の頭公園_三鷹側に建つ古アパート「喜楽荘」の住人だった。快適な環境だったのでそのアパートに7年住む。その後吉祥寺の町中へ。)
東京は素晴らしい。(住んだ場所が吉祥寺。それが良かった)自由があった。刺激があった。まちに勢いがあった。自分の力で切り開ける希望があった。まちに育てられたといっても過言ではない。
幾多の幸運が重なり、1972年、桑沢デザイン研究所へ進学。ダブルスクールを選択できた。(大学は奨学金をもらいにいくだけ・・助かりました、日本育英会に感謝)
高校時代に抱いた進路をようやく軌道修正できたのだ。
●
足高時代は青春のモヤモヤ時代の記憶が占めている。
長い前振りとなった。しかも感傷的だ。
還暦を迎え、「館林城の再建をめざす会」の活動を始めたときに、二中の同窓会とともにアピールと支援をえるために足高同窓会のことを教えてくれたのが先輩の小菅さんだ。
2013年、「よみがえる館林城展」のアピールで初めてOB会に出席。
初めて臨んだ同窓会で「館林城絵はがき」セットを多数買っていただき、印刷費の一部を回収。皆さまに感謝です。
以後欠かさず出席している(2度、風邪で休んだが)
毎回、「館林城の再建をめざす会」の活動をレポートにまとめ、勝手に報告。多少の迷惑かも知れないが、活動期間を10年間と考えているので遠慮は禁物だ。
今回もレポートと資料(「お散歩マップ」、「旧市庁舎保存プロジェクト」)を皆さんに配布。勝手にマイクを使い説明をはじめた。
今回、反応はとても良くて、多くの方々から励ましたと協力の申し出を受けた。
嬉しい!
▲半年間の活動報告
同窓会は年1会の総会も兼ねているので、現足高校長先生始め、教頭、OB会担当の先生、そして新しく会長に就任された早川氏(あしかがフラワーパーク社長・足利商工会議所会頭でもある早川慶治郎氏)も出席。
早川さんとお話しできて良かった。
「那須烏山市セミナーで「観光。リピーター獲得」というテーマで講演した際、成功事例として「あしかがフラワーパーク」の研究発表した。お礼ができた。
同窓会の恒例である記念講演は川島脳外科の川島先生が「認知症について」を講演。義父が認知症の初期段階なのでとても参考になった。
ありがたい。
館林市邑楽医師会長の真中先生や館林市新市長須藤和臣氏も出席。足高の人材は魅力的だ。
私が進めている「お寺プロジェクト」の推進の力となりうる後輩を紹介されて嬉しい。
生田萬父母のお墓がある大道寺の坪井住職。お話しできた有意義でした。
足高をはじめ、二中、南小同窓会の力が集まればお城の再建も不可能ではないと確信。
(2017/07/22 アップ)