最新情報/館林城調査・研究・提案

幕末の武士の暮らしがリアルにわかる好著。
(しかもお隣の藩・忍藩の下級武士の生活) ほのぼのとした暮らしぶりを見事に活写した好著。
NHK大河ドラマ(現在放送中は松陰の妹の話なので同時代)では伝わらない日常の暮らしなのだ。
ドラマチックな時代小説に洗脳されている頭では理解されにくいが。これが下級武士の暮らしなんだね。
安全で安心、質素で愉快な人間関係、よく集まり、よく話し、よく飲む。
こうした江戸時代の生活文化は世界一だ。
武士の絵日記表紙

 ▲表紙カバーのみカラーの絵なので大きく拡大。作者・尾崎石城の洒脱なタッチの絵。うまい。
中央下、 ほぼ裸で横たわり書物を読んでいるのは石城本人。脱力感が見事。右下の風呂は私が子どもの頃、この絵と同じ風呂に入っていた。昭和30年代のことだ。江戸と繋がっていたことを実感する。かまどの絵も母の実家で農家の台所とまったく同じ。

「石城日記・全7巻」は慶応義塾大学文学部古文書室所蔵品。一度は実物を見てみたい。

【大岡敏昭著「武士の絵日記」角川ソフィア文庫刊】 
目からウロコの武士の暮らし。「足るを知り」暖かい交流に溢れた
理想的な生活が展開されていた。

タイトルがベストセラー「武士の家計簿」のパクリみたいだが、表紙を見て思わず手に取りました。大正解。
昨年末に購入して、数ヶ月、少しづつ楽しんでます。長澤理玄プロジェクトの仕上げ「生誕200年祭」の準備に忙殺されていて、読書の時間が減りました。理玄プロジェクトに行き詰まると、この本に逃避。のんびりとした気分に浸れます。
絵も良し、文も良し、資料も良し。
好企画に拍手。

行田(忍藩)と館林は日帰りで歩ける近さ、まさにお隣です。
忍藩と館林藩の歴史も規模もほぼ似た者同士。館林藩の武士の生活も同じであったと断定できる。
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絵日記の著者は忍藩の武士・尾崎石城という人物。
石城は江戸詰めの庄内藩士浅井勝右衛(あさいかつえ)の次男として生まれた。その後、忍藩士・尾崎家の養子となった。
当初は御馬廻役(うままわりやく・主君の親衛隊なので中級武士だ)100石。
安政4年(1857)29歳の時に上書(意見書)を藩の重役に出して藩政を論じたために蟄居。(生田萬みたいだ)
外出禁止処分に。しかも10人扶持に大幅降格。
(註*翌年の安政5年、井伊直弼による安政の大獄が始まる。時代は攘夷の風が吹いていた)
忍藩主は松平家で親藩。時代的に尊王攘夷の熱に浮かされたのだろう。(これは松陰たちと同じかも・・・。まじめなんだ。)
(館林もちょうどこの頃、名家老・岡谷瑳磨介が開明派として藩政の改革を実施。大きな成果をあげる。のちに尊王攘夷派の蛮行によって改革が挫折。日本全国、この時代の空気は似たようなものだった・・・。)
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尾崎石城。まじめな武士の気概をもつ男。その一方で文才と画才に恵まれていた。
芸は身を助けるね。(館林藩医・長澤理玄もプロ級の画才。山田音羽さんも画才あり、みな上手い・・・。)
養子に入った家を追い出されて、妹の家に居候する石城。妹の夫は下級武士であった。
(この流れが、藤沢周平の小説なら困難辛苦、起死回生の展開となって楽しめるのだろうが・・・)

絵日記は33歳になった文久元年(1861)から翌2年までの178日の暮らしを記したもの。
(註*前年に桜田門外の変があったのだ、時代の空気を理解できるね。)

謹慎の身の石城は、それでも日々の暮らしを屈折することなく、おおらかに過ごしている。それは愉快で穏やかで・・・。
しかもよく飲食をするのだ。
まさにグローバル資本主義と対局の価値観で包まれていて、まことに居心地のよい、真の豊かさを教えてくれる。
この時代の人々がいての明治維新。この人々の文化があってこその日本なのだね。
江戸時代の人たちがつくった新生日本。だから今もすばらしい。

(例えば、深夜に女性が安全に一人歩きできる社会。世界的に極めてまれなことを石城の絵日記は安政の時代でも普通のこととして記述している。治安の良さは徳川幕府のおかげだろう。)
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この著作は、ぜひ館林のお寺の住職に読んでもらいたい。かつてのお寺は地域コミュニティーの中心であった。
お寺の存立理由がよくわかります。お寺の活性化は町おこしの重要なテーマです。
館林の旧市街(城下町)を気持ちのよい場所にかえる潜在能力をもった施設がお寺です。(次のプロジェクトですね。)
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いつも身近に置いて大切に少しずつ読んでます。


武士の絵日記02
 (2015年4月4日アップ:田中茂雄)