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- 館林城調査
2016年10月27日(木 )、お隣の太田市、金山城へ。
太田市の歴史遺産活用のパワーをみた! やるね!
佐野の唐沢山城見学から1週間後、太田市にある金山城へ行ってきた。金山城 は近年あっという間に観光拠点として整備されて、いつの間にか「日本百名城」になっていた。
館林があまりにもルーズなので、先を越されてしまったのだ。
榊原康政公に知れたらきっと叱られるね。綱吉公も激怒するかも・・・。
●
「恐れながら、殿(康政公)一大事でござる。
廃城になった新田の金山城が日本百名城に選ばれたでござる」
「金山城が百名城とな、笑止! うつけたこと申すな!」
「徳川四天王の儂が建てた館林城をなんと心得る!」
「おやかた様の江戸城の次は、我が館林城なのだ!」 (小田原城も良いがのぉ〜)
「しっかりせい、町役人ども! 戦のように死ぬ気で働くのじゃ!」
「喝ッ!」
康政公に叱って欲しい。
【金山城】
金山城の解説はウィキでどうぞ。「ウィキペディア/新田金山城」
ガイダンス施設で販売していた金山城関係の資料。
まだ読んでないので、コメントは後送。(11月1日)
【金山城ガイダンス施設】ご紹介。
太田市やるな! しっかりと国の補助金を得て、立派な施設を作っておったわい。(口調が変・・)
設計は隈研吾。(新国立競技城で有名)
隈研吾はバブルのちょっと前に、世田谷の環八沿いに奇妙な建築を建ててちょっと有名になった。
私は当時、二子玉川に住んでいたので、よく知っている。マツダのショールームだった。
ギリシャ神殿の柱を巨大化して面白い外観にまとめあげた。ポストモダンというムーブメントらしい。
私は好きでした。私が勤務したデザイン事務所は建築設計事務所(株)パンデコンでもあったので、建築の知識はありました。
2年前に見学した、栃木県馬頭町の美術館(設計・隈研吾で木を全面的に使用した作品)より
金山城ガイダンス施設は耐久性がありそうで安心できる。
木は難しい。劣化が激しいのだ。
隈研吾は売れてるね。地方の施設もこつこつ設計していたのだね。がんばってるね。
私は建築家の仕事場を内側からみてきた、ほんとうに大変な職業である。尊敬できる職業だ。
働く環境はブラック企業だが、優秀なスタッフの情熱でなりたっている。
(2016年10月27日撮影 撮影は「館林城の再建をめざす会」田中茂雄)
▲施設の外観と内部。さすがに一流の建築家。動線もシンプル。2階のテラス部分も美しい。金山城の展示室もわかりやすい。
館林から車で30分。館林市民には金山といえば城ではない。上毛カルタでおなじみの太田金山呑龍さまだ。「子育て呑龍」として名高い。(お城はほとんど無名だった)私の甥は呑龍さまで命名してもらった。こどもの命名でも知られるお寺だ。
昭和の時代にはお城の遺構は土の中だった。
それを、見事にというか、過剰というか、山城のテーマパークのように上手く作ってしまったのが、現在の金山城だ。
(スミマセン。館林のひがみ、ねたみ、やっかみです。)
しかも、宣伝もがんばりましたね。
さすが、いろいろと物議をかもしだす清水市長のお膝元、行動力ある。
お城の整備に比べて、呑龍さま(大光院/慶長18年家康が建立)が寂れていたのが驚き。(
かつては賑やかだった)
久しぶりに訪れたらやつれた感じです。哀しいね。
太田市長さま--------------------------------
呑龍さまにも多大なご支援をお願いいたします。太田市のシンボルなんですから。
(というか東毛地区のシンボルでもあるので)
【金山城跡 ハイキングコース】ご案内
ガイダンス施設を後にしてさらに山を登る(車で)5分のところに駐車場がある。(金山城の西の外れにあたる)
ハイキングコースのように快適に整備されている。素晴らしい。
大きな案内板があり散歩コースが紹介されている。
錦秋にはまだ早い、夏の日差しを感じる好天。整備されたコースが気持ちよい。案内板のデザイン良し。
▲金山城跡へと向かう整備されたハイキングコース。駐車場から2、3分の通。木漏れ日が美しい。
▲途中の堀切。 案内板もきれいに整備。デザインも優れている。
▲堀切を超えた高台に物見台あり、物見が設置されたいた。太田市の園児がハイキングに。とても楽しそうだ。
館林城跡に立派な3層櫓(天守)が再建されて、こうした園児たちが天守で遊ぶ光景を実現させたいね。
36年前の案内板が残っている。発掘調査以前なので抽象的な表現と曖昧な想像図が掲載されている。
昭和の金山城の状況がよくわかるね。魅力的な観光施設を作るには力業が必要。予算をかけて大規模な発掘調査。
それをもとに予算をつぎ込んで再生する。こうした努力が大切だ。
館林城再建の参考事例としたい。
▲整備された石垣。(矢倉台)
下の写真は発掘当時の写真。じっくり比較しよう。
▲発掘調査中の写真をみると、城の遺構は山の中に埋もれていたのだ。しかも石垣はバラバラ。
上部の土を丁寧に除いてブラシアップして、写真の状態だったのだ。よくぞきれいに整備したものだ。
そのイマジネーション力に敬意。復元というより、想像力で作り上げたのだ。
太田市恐るべし努力。館林に欠けているものがこの努力だ。
▲大手虎口にて「館林城の再建をめざす会」田中。
石垣は破壊され崩されて、ほぼ地中へ。発掘調査をもとに再建した大手虎口。
実物はとてもこじんまりしているのだが、写真映え抜群。良くできている。フォトジェニック復元。(これ造語です)
こうした太田市の努力が「日本100名城」を勝ち取ったのだ。
「国指定史跡」1934年昭和9年に選ばれている。
下)完成した石垣。良質な音楽ホール、野外劇の観客席のような景観。上の発掘写真と比較してみよう。
▲虎口の下に位置する場所では現在も発掘作業が行われている。こうした地道な作業こそ大切だ。歴史を掘り起こすのは楽しそうだ。
金山城の現遺構も発掘作業のたまもの。 整備された遺構を多くの人が訪れることを期待したいね。
【月ノ池】
▲金山城のシンボル的な日ノ池。きれいに整備してある。
月ノ池もそうだが、円形の池のような井戸のような貯水池は佐野の唐沢山にもある。土木工学的に必然的な形なのではないかな?
山城攻防戦で守備側としては水は必須。
▲金山からの展望。館林方面を除く。
【日本百名城スタンプはここにある】
麓のガイダンス施設には置いてない。「スタンプはちゃんと山城に登ってね!」ということらしい。
撮影当日も幾人かスタンプを押してました。(人気ある)
日本人はランキングが大好き。江戸時代も様々なジャンルのランキングがあった。 基本、遊びだが
侮ってはいけない。日本文化に深く根ざした遊びなのだ。百人一首しかり、百名山しかり・・・・。
館林城が堂々と再建できたとしても、百名城入りは難しいだろう。なにごとも既得権が存在する。
新たなランキングを作らなくてはならない。
例えば、「徳川十名城」とか。
(社団法人・徳川十名城会というのを設立する。事務局は館林城、代表は徳川宗家がいいね)
1)江戸城
2)岡崎城
3)駿府城
4)彦根城
5)館林城
6)大多喜城
7)水戸城
8)福井城
9)名古屋城
10)和歌山城
(思いつきです)
築城が1590年以降(岡崎城は別格、家康の生まれた城なので)、徳川親藩または四天王の城ということに。
榊原康政(四天王)、徳川綱吉(親藩)いずれにしても館林城は当選確実だ!
スタンプは大手虎口を登った頂に、休憩小屋のような施設がある。飲み物自販機のとなりにスタンプが置かれている。
壁にスタンプを押すなと書いてあると、どうしても押したくなるのが人情だ。マナーが問題ではない。
(2016年11月1日アップ)