最新情報/館林城調査・研究・提案

2016年10月21日、お隣の佐野市、唐沢山城を見学に。
灯台もと暗し。素晴らしい山城に感激!

唐沢山は館林の人達に愛されてます。 なにしろ館林は真っ平ら、起伏がない、山もない。
館林から一番近い山が佐野なのです。みかも山と唐沢山は。館林の子どもなら学校の遠足で必ず訪れる。
山の気分を味わえる貴重な所。

約半世紀ぶりに訪れた唐沢山はすばらしい山でした。
むかしの記憶はほとんどありません。当然、唐沢山城の知識もない。むしろ神社とハイキング公園のイメージが強かった。
館林城の再建をめざす会の活動を始めなけば、唐沢山城に訪れることも無い。
素晴らしい山城に出会うこともなかった訳です。

【唐沢山城】

唐沢山城の解説はウィキでどうぞ。「ウィキペディア/唐沢山城」
郷土の歴史について格好のテキストを入手。画像をどうぞ。
唐沢山城歴史解説本

【唐沢山神社】

藤原秀郷(ひでさと)、別名「俵藤太」(たわらとうた、ムカデ退治で有名だ)。
平将門を打ち破った武将。佐野氏のご先祖にあたる。「ウィキペディア/藤原秀郷」

唐沢山城パンフ
▲神社に置いてあったパンレットより。
唐沢山神社
▲唐沢山神社 本丸跡に建立された。奥が本殿。 (秋の好天のなか撮影)
唐沢山城本丸
▲本丸への途上口。山門がある。 佐野市が設置した案内板はわかりやすい。


唐沢山城へは館林から車で30分もかからない、渡良瀬川を越え50号を越え佐日(さにち/日大佐野校)の脇を過ぎ吉水へ。
唐沢山を裏から登る。道路も整備されていてあっという間だ。
10月21日は好天でかっこうのハイキング日和だった。紅葉には少し早いが気持ちの良い唐沢山に再会できた。

以下、写真の紹介。
国会図書館佐野城絵図
▲唐沢山城絵図 国立国会図書館蔵 アーカイブより。
「日本古城図絵 東山道之部 上野国佐野図絵 江戸中期〜末期」
 ※絵図には上野国と記されている。下野国の間違いではない。念のため。(田中)

唐沢山城 入り口
▲車でレストハウス前の駐車場まで行ける。そこには「唐沢山城跡」の新しい石碑が建っていた。

唐沢山城枡形▲入り口の枡形。とてもコンパクト、かわいい石垣が残る。

城内案内板
▲枡形を越えたところにあるお城全体の案内板。新しい。しかもわかりやすい。

唐沢山城高石垣
400年前の石垣がしかも高い。本丸を支える石垣がお見事。館林城の近くにこんな立派な城郭がそびえていた。
石垣アップ▲高石垣のアップ。唐沢山の自然石を利用した石垣で、典型的な「野面(のづら)積み」。西国の築城技術指導があって出来た。
それにしてもこの石垣を保存維持してきたことが素晴らしい。江戸時代は彦根藩が山林を管理。明治になり建立された唐沢山神社(藤原秀郷を祀る)神社のおかげだ。自然のままに放置していたら100年もたない。
石垣アップ
▲角石。大きな石を使った算木積みではないが、技術も優れている。メンテナンスの賜でもある。

唐沢山城地図本丸
▲石垣が見事な本丸と二の丸。絵図面ではこうなっている。(レタッチ制作・田中茂雄)

唐沢山ビュー
▲唐沢山天狗岩からの眺め足利方面を望む。程よい標高(249メートル。
唐沢山城展望
山麓との標高差180メートル)なので、よく見える。
歴史小説家・伊東潤の「見えすぎた物見」という短編の舞台にもなった。
江戸の大火も見えたのだ。(スカイツリーが見えるらしい。写真が飾ってあった。)
(唐沢山城から江戸の大火が見えることが、キケンと判断され、江戸の様子が筒抜けと思ったのだ、
豊臣恩顧の佐野家は改易になってしまった。その後は旗本として存続)
※「城を噛ませた男」(光文社文庫刊)に「見えすぎた物見」が収録されている。



ここからが本題。
【2014年・平成26年3月、「唐沢山城跡」は佐野市の
  積極的な働きかけで 国指定史跡になった。エライ】


国指定史跡なれば、遺跡の保護、次世代への継承が確実になる。
佐野市・佐野市教育委員会は国指定史跡を得るために、唐沢山城の発掘調査を進めてきた。
調査内容は3つの分野からなる。(周到に進めてきたのだ)

1)唐沢山城の範囲を把握するための縄張りの調査と地形測量。
2)古文書や古地図など文書や歴史資料の調査。
3)城の構造や現存具合、歴史性を明らかにするための遺構確認調査(発掘調査)


こうした調査は、佐野市が「唐沢山城跡発掘調査事業」として、2007年頃から進められた。
数年かけた調査結果をもとに国の文化審議会に唐沢山城跡の文化的価値を報告したのだ。

2013年(平成25年)11月、国の文化審議会は文部科学大臣に唐沢山城跡を国指定史跡として指定するよう答申。
2014年(平成26年)3月、正式に指定された。慶賀!

●指定理由-----------------------------------------------
関東有数の大規模な山城であるとともに、織豊系城郭として整備された数少ない城。
また山頂部の高石垣や山麓部に営まれた居館跡群が良好に残るとともに、
築城から廃城に至るまでの城郭の変遷を窺うことができるなど、 中世城館の展開を知る上で重要。

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国指定史跡範囲図
(佐野市のホームページより図版転用。図版に地名を加工。)

唐沢山城の歴史的価値はよくわかる。そのとおりだ。
館林城の歴史的価値はそれ以上だろう。織豊期時代の城郭都市を榊原康政が作った。
プラス、徳川幕府黄金期・五代将軍綱吉の居城としての価値。
(歴史のイフ。現存すれば国宝だ)とはいえ、失われているのは事実。
ただし残っている部分もある。まずはそれを活かし佐野市のように調査し再構築することが
館林の為すべきことだ。
        ●
館林市には出来なくて、佐野市はできた。
羨ましい。発展の格差がこうした所にも現れる。

私が子どもの頃(昭和40年代)館林と佐野は同レベルの町だったのだ。
むしろ東武線の利便性から館林の方が勝っていたかもしてない。
あれから、40年。
絶望的な差がついてしまった。・・・・と悲観していてもはじまらないだろう。
今から40年かけて追いつけばよい。
しっかり戦略をたてればキャッチアップするのに40年はかからないだろう。半分の20年あれば十分だ。
行政と市民の覚醒があればより早く達成できる。
館林市長をはじめ市議・市職員よ、がんばりましょう!

「館林城の再建をめざす会」は応援します。

(2016年11月1日追記)