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秋元時代の館林藩校、道場サイズが判明!
【朝日選書「剣術修行の旅日記」永井義男著】
すばらしい著作のおかげで館林藩の武道がちょっとだけ判明。2014年2月4日
2013年の夏、書店で新刊本が目にとまり本が私を呼んでいたので、即購入。大当たり!
(私は、空手の稽古を今でも週3回続けており、武道へのあこがれが強いので剣道も興味あり)
楽しい内容に驚き、しかも館林の記述まで載っている。佐賀藩士・牟田文之助の剣術修行の旅が生き生きと活写されている。まさに、目に鱗の内容で、もう一つの幕末青春グラフィティだ。
(新撰組や坂本龍馬や尊皇の志士だけが幕末の青春じゃないよね。昭和の東映時代劇映画のようなほのぼのとした明るさに満ちた当時の空気をたのしめる。目からうろこの本)
皆さんも、ぜひお読み下さい。オススメです。
(ホームページにアップするのに半年もかかってしまいました。)
佐賀藩士・牟田文之助は天保元年1830年生まれ、父は佐賀藩剣術師範のひとり吉村右衛門。宮本武蔵の流れをくむ二刀流である鉄人流の免許皆伝という人物。剣の達人にして筆まめ、性格は明朗。
当時(江戸後期)、多くの藩で藩士の教育に力を入れていた。藩校を設立し、文武教育を奨励した。文に秀でた者は各地の塾へ留学させた。また、武に秀でた者には諸国武者修行をさせていたのだ。費用は藩費(給付留学生という立場だね)。こうした武芸の修行を円滑に行えるように、例えば、修行人宿といった宿泊施設などのサポート態勢が全国規模で整っていたのだ。当然だが、館林の城下町にも修行人宿があった。(場所は不明、文之助さんが記録してくれたら分かったのに残念)
註)館林の修行人宿が判明。(2015年3月)
館林城の歴史踏査中、偶然修行人宿の記述があった。
館林藩の藩校を調べていて、まさに主人公が旅した時代、館林藩でも文武振興策が進められていた。
(全国的に風雲急を告げる時代だったのだ。とはいえ佐賀藩士・牟田文之助にはそうした時代の空気を感じさせない、のほほんとした剣術修行の旅だった)
修行人宿の設置の記述が見つかった。
修行人宿として足利町 櫛屋平兵衛を指定したと記されていた。櫛屋という旅館で場所は現在の郵便局。
(館林郷土叢書 第四編収蔵「藩学問所(求道館)について 92ページ」寺島錬二著 昭和14年発行)
郵便局から藩校まで徒歩10分。便利な場所。城下の一等地。佐賀藩士・牟田文之助はここに宿泊したのか。ようやくわかった。
著者に教えてあげよう。
▲文之助が館林を訪れたころの館林城下町図 (進藤家所蔵・館林城下町図より)(この図は2015年8月15日追記アップ)
櫛屋から徒歩3分で大手門。さらに早歩き5分で藩校道場。便利な場所に修行人宿があった。
嘉永六年(1853年、この年はペリーが浦賀にやってきた年だ)、藩命により文之助は諸国武者修行を仰せつかる。(武家ならではの誇張した表現で、本当は文之助が願い出て藩に受理された。)
時の藩主は鍋島直正(なおまさ)。(詳しくはwikipedia-鍋島正直を参照)
(註:直正公は伊東玄朴の提案でオランダから牛痘法の痘苗を輸入させた人物で、それが伊東玄朴の友人・桑田立斉に伝わり、桑田立斉のもとで学んでいた館林藩医・長沢理玄に繋がる。不思議なご縁)
1853年9月佐賀城下を出発した文之助は佐賀から久留米、日出、中津、北九州を経て長州へ。山陽道、東海道を北上。各地で剣術の試合やら稽古をしながら修行の旅をする。
12月(安政元年)に江戸へ到着。江戸から水戸、東北(秋田まで訪問)、新潟、会津、宇都宮、栃木、館林へ。また江戸にもどり、その後中山道を伝い名古屋へ。名古屋から大阪、そして四国へ四国から九州へ舟で渡り佐賀へもどる。
まさに諸国漫遊の旅だ。筆まめな文之助は各地の道場を記録に残した。
その記録「諸国廻歴日録(しょこくかいれきにちろく)」をわかりやすく書き下ろしてくれた著者の永井義男氏に感謝。
各地の道場の規模、流派・師範の名前。門弟のおおよその数、そして剣の実力など。興味は尽きない。
たとえば
道場は板張りという先入観はくつがえった。西日本では土間の道場が多い。まあ実戦に即した稽古なら土間の方がよりリアル。現代のスポーツ剣道と違って、当時は本物の武術。生死がかかっている。
(とわいえ、現代につながるスポーツ剣道はこの時代に始まっているのだが・・・)
板張りはの道場が意外と少ないし、狭い。(現在の剣道の試合ができないサイズ)
現代ルールで試合できる道場は水戸藩の弘道館なら可能。
(註:全日本剣道連盟規則で、試合場は、境界線を含み1辺を9mないし11mの正方形また、長方形とすると定められている)
館林藩の藩主は秋元志朝で文武を振興した。藩校は造士書院(求道館→造士書院)の名称。
文之助の記録によると5.5m(3間)×9.1m(5間)。これは平均的なサイズ。板張りなので良い方かな。
以下、「剣術修行の旅日記」の館林の記述をご紹介。
●
2014年5月追記;館林で文之介が対戦した相手に、直心影
流の飯塚剛一郎がいた。飯塚はなんと「名将言行録」で有名な 岡谷繁実の先生だった。
【館林藩の剣道の腕前はいかに・・・】
記述は館林藩の江戸藩邸道場についても書かれている。(133〜134P)
文之助は安政元年3月20日友人二人と3人で館林藩邸の道場へ出向いた。
文之助は直心影流で師範の杉江鉄助との立ち会いを楽しみにしていた。
当時江戸では、館林藩の藩邸道場は実力者ぞろいという評判があり、杉江の名は鳴り響いていた。
ところが杉江と立ち合った文之助の感想は、
咄とは相違奇妙之事也
だった。噂ほどでないので、世評の高いのが不思議でしかたがない、と。
およそ三十人の門弟も、世上の風説とはことなり、たいしたことはないと評した。-------「剣術修行の旅日記」より引用。
館林の人間としては悲しい内容。なんだ強くないじゃないか。
しかも江戸の藩邸の方が館林よりまだましといわれ、残念。ただ、館林の藩士たちは、好奇心にあふれ、礼儀ただしい内容なので、素直に嬉しいね。
こうしたリアルな情報はとても貴重。
【館林藩校の道場平面図(想像)】
本の記述にあった道場のサイズを図解してみました。30畳の道場に隣接して師範席(藩主も見学する)として利用される畳の部屋が付くものだ。想像図のような間取りであったはず。稽古場として十分なサイズだ。
資料として学校武術稽古所の隣接する洋学所の平面図を添付。敷地の規模がほぼ同じなので参考になるはず。
(2014年2月4日制作:田中茂雄)