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長澤理玄プロジェクト 2015年、生誕200年!

【長沢理玄プロジェクト】 いままでのニュースが詰まってます。お読み下さい。

【NEWS 11】理玄展レポート01「長澤理玄展」マスコミ各社の記事をご紹介。
2014年5月23日(木)アップ。

長沢理玄展、3日間で200人を越える入場者があり大成功でした。
多くの来場者は。マスコミの情報でイベント知り、二業見番を訪れました。
短いイベント期間に足を運んでいただくには、マスコミのバックアップがとても大切です。広告や宣伝予算はありません。限られた資金(資金といっても全部自腹。)は制作物の充実にあてました。
プロジェクターやスクリーンの購入、パネルの制作などにお金がかかります。カフェの仕込みもありました。新たにマップも制作。
マスコミ各社の暖かい応援なしに「長澤理玄展」は成功しませんでした。
マスコミ各社へ「長澤理玄展」の情報をていねいに知らせてきました。昨年の「よみがえる館林城展」の成功が、マスコミ各社の背中を押してくれました。継続は力ですね。
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理玄展パブリシティ

【NEWS 10】「長澤理玄展」上毛新聞「シャトル」(4月9日〜)連載開始!
2014年4月16日(水)アップ。

長沢理玄展の事前告知を兼ねた連載が開始されました。展覧会直前まで全6回掲載されます。
昨年の「館林城の楽しみ方」に続く第2弾になります。
初回から5回までは石村先生に執筆をお願いしました。理玄の人柄、業績を分かりやすいエピソードで紹介します。
乞うご期待。
6回目は「長澤理玄展」の楽しみ方をご紹介。
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開催まで1ヶ月、準備に追われて、更新が滞ってます。紹介したい事例が沢山あるのですが、サイトへアップする余裕がありません。
理玄プロジェクトの根回しでいろんな方にお会いしてます。どうしても協力ばかりのお願いで、いつも低姿勢。
先日も社会貢献をめざす館林のLクラブにおじゃまして、会長に協力のお願いに。(簡単にいえば、理玄の顕彰碑の寄付)結果は、ダメ。(残念です)
私としては、館林で長澤理玄の名前と足跡を広めることが目的なので、(結果はダメでしたが)理玄展のチラシを渡し、お話しできただけでも一歩前進です。
上毛新聞4月9日連載01
[上毛新聞・シャトル 2014年4月9日]

シャトル6回目
[上毛新聞・シャトル 2014年5月14日 6回目(最終回)イベント2日目前の掲載。スペースも大きく展覧会の詳しい内容を紹介できました。

【NEWS 09】「長澤理玄展」チラシ完成
2014年3月4日(火)アップ。

長沢理玄展の会期、会場が決定しました。
ようやくチラシが出来上がりました。
A4サイズのチラシですが中身を充実させてます。要素をぎゅっと詰め込みました。
デザイナーですのでそれをわかりやすく、しかも美しくデザインしました。ぜひご覧下さい!

[チラシ(フライヤー)表面]
理玄展チラシ表面

[チラシ(フライヤー)裏面] 理玄展チラシ裏

【NEWS 08】立川談四楼さんに長澤理玄の資料をお渡ししました。
2014年2月4日(火)アップ。

長沢理玄の功績を時代につなぐためには、共感を得るコミュニケーションが重要です。興味をもって聞き入る話術。そうした能力を持つ語り部の存在が必要と思いました。
その時に浮かんだのが、邑楽町出身の郷土の落語家・立川談四楼さんです。談四楼さんとは同い年なので以前から活躍を注目していました。昨年末に事務所のホームページサイトのアドレスへメールを差し上げたのですが、ぶしつけな相談をメールではうまく伝えられませんし失礼です。直接お会いしてお話しをしたいのですが、連絡先が分かりません。

そんな折、このホームページの連絡サイトに投稿してくれたFさんがいました。Fさんは奇しくも邑楽町出身。よいアドバイスをいただきました。「独演会へ行けば良い」
そのアドバイスに従い、1月31日(金)、世田谷区経堂の「さばのゆ」というお店で開かれた立川談四楼独演会を予約し、出席してきました。

「さばのゆ」は経堂駅の近く。経堂駅に降りたのは40年ぶりのこと、小田急線は高架になり駅もすっかりきれいになりました。小田急OXも新しくなり、おしゃれな町に生まれかわりました。
夜8時開演、寸志さんの前座のお話の後に、談四楼さんの「井戸の茶碗」ともう一席(お題不明)拝聴。面白い。素晴らしい。ブラボー! 
独演会終了後はお酒をいただきながら懇親会。さすがにその席で長澤理玄の創作落語を館林の二業見番や小学校で演じて欲しいとのお願いは無粋なことと思い遠慮しました。持参した長澤理玄と館林城の資料をお渡ししただけでした。
懇親会でのお話しは館林の昔ばなし、やはり同学年というのは気があいますね。
それにしても、談四楼さんの記憶力のすばらしいことに驚きました。
それと、館林のことをとても大切に思っていてくださり、ありがたいことです。

公演中に談四楼さんに二人目のお孫さん誕生の知らせが届いたそうです。おめでとうございます。

資料を読んでおきますのとの返事をいただいて、終電間際の小田急線に飛び乗りました。帰宅したのは1時過ぎ。
私は下戸なので、お酒に弱い。翌日、早起きできず、9時半からの空手の稽古へ行けませんでした。
次回の独演会にまた参加します。


【NEWS 07 】第二回勉強会、和やかに進行できました!
2013年11月3日(日)アップ。

第2回勉強会。(10月31日(木)夜7時から9時20分。)

前回の反省として、お渡しする資料の部数が足りませんでしたので、今回は多めに用意。
新たに用意した資料は「天然痘の予防法の歴史的な経緯(本当に上州初の種痘は理玄だったのか?その裏付け資料)と、館林市邑楽郡医師会よりいただいた「医師会史」のなかから、理玄の記述をピックアップして資料にまとめました。
他に、会の進行で石村先生のお話中に休憩時間を設けました。会場である、歴史的な建物・二業見番の建物探検ツアー(劇場でいえば、バックステージツアー)を実施。参加者も初めての二業見番の内部ですので、興味しんしん。みなさん、うち解けた雰囲気に。
勉強会の終盤は、これからの活動スケジュールの報告をプリントにまとめました。スケジュールの解説と来春の企画展のイベントアイデアを話し合いました。また医師会の全面的な応援を得るためにクリアすべきことなどもお聞きしました。
予定時間を30分オーバーして終了。 

2回の勉強会を終えて思うに、やはり二業見番はこうして多くの人に使われてこそ、意義があると実感しました。
建物もきっと喜んでいます。かつてのにぎやかな肴町を取り戻すのは困難ですが、わずかでも残されている建物を維持し、使う。ただ保管するだけでなくて多くの人が集まれることが大切。見番はにぎやか人の集まりが似合う建物です。決して博物館ではありません。舞台の背景に描かれた老松の前に人々集まることで、神が降りてくると言われてます。無人の舞台では、なにもおこりません。
待っているだけでは人は訪れません。こどもの頃、どうしてお祭りが毎年行われるのか謎でしたが、あれは、多くの大人たちがこどもの見えないところで動き、作り上げ、支えてきたから出来たことなんですね。 こうした準備の担い手は大人の番です。
待っているだけのこども時代は終わりました。おとなになったら下働きを積極的にして世の中を楽しくしていきましょう。
前回、今回とも石村先生をはじめ、「館林城の再建をめざす会」のメンバーである、二中・一中のなかまの協力と、ペットボトルのお茶を用意し、しかも家で温めてくれた姉達に感謝です。
これから、来春の準備に着手します。

2回目勉強会

▲第2回勉強会のスナップと資料。撮影;田中茂雄 2013年10月31日

【NEWS 06 】第一回勉強会、予想以上の大盛況!感謝です!
2013年10月20日(日)アップ。

第1回勉強会。(10月19日(土)夜7時から8時30分。)無事スタートしました。

お天気が心配でしたが館林だけ奇跡的に雨が降りません。東京から館林へ向かう高速道で4時頃蓮田付近から雨。加須では強くなりました。利根川を渡ると館林の二業見番上空だけ雲に切れ間が、なんと青空も見えました。これ作ってませんよ。しかも勉強会が終了した9時ごろから雨が降り出したのです。リアルほんとうの話。理玄が見守ってくれたのでしょう。

「ウエイブ」店主と5時に二業見番へ会場の掃除です。初めてはいる建物は想像以上の素晴らしさ。感激です。建築素材の質の良さ、ディテールのうつくしさ。間取りの妙。懐のふかさ。古いけれど懐かしい。しかも艶のある建築。特に二階の舞台は素晴らしい。杉板に松竹梅の絵が。能舞台の老松を意識してメインのモチーフは松ですが、芸妓さんの踊りの舞台にふさわしく世俗の華やかさも盛り込んでます。(描かれた小さな梅の花がかわいい)う〜ん。パーフェクト。舞台の板もすばらしい。ここで踊りたいというか、デザイナー兼空手家なので演舞をしたいですね。
見番舞台 6時までに「館林の再建をめざす会」のメンバーが勉強会のスタッフとして集まってくれました。
45年以上昔の中学生の面影が甦る、明るい笑顔でテキパキと仕事をこなします。
6時半頃から 続々と来場者が・・、用意した資料が足りなくなりご迷惑をかけました。
7時予定通り勉強会が始まりました。会場の雰囲気を写真でどうぞ。

第一回勉強会

▲事前の上毛新聞の記事もあり多くの参加者がありました。
予定通り7時からスタート。勉強会の趣旨の説明とスタッフの紹介から始まり、7時15分。石村先生のお話が始まりました。
1時間のお話の後、質疑応答。そしてビッグサプライズ。
参加者の方に長澤理玄から5代目にあたる長沢さんが参加してくれました。参加者全員拍手で迎えました。 こうしたサプライズの現場に立ち会えてうれしさ倍増です。 (2013年10月20日;田中茂雄)
上毛新聞1019記事▲勉強会当日の上毛新聞朝刊に掲載された記事。長沢本家の方がこの記事を読み、勉強会へ出席。

【NEWS 05 】勉強会の会場、二業見番の魅力について。  
2013年10月14日(日)アップ。

いよいよ第1回勉強会。(10月19日(土)夜7時から8時30分。)
会場の旧肴町の二業見番についてのミニ知識をご紹介。

宮崎アニメ『 千と千尋の神隠し』の舞台のような建物。こどものころは見上げるような異様な雰囲気があり格式も感じたが同時に艶めかしいオーラも発していた建築。館林では有名な建物だが中に入った人は少ないはず。
私も今回の勉強会で初めて建物の内部に入ることになる。二階にある踊りの稽古場が見たい。舞台があり背景に松の絵(老松)が描かれているという。楽しみだ。 勉強会は二階の稽古場で行います。乞うご期待!!

二業見番の知識

▲手持ちの資料をもとに二業見番のミニ知識をまとめました。二業見番は昭和13年に竣工。勉強会で配布する資料に大正8年と書きましたが、間違いです。大正8年は館林見番という建物が出来た年で混同。訂正します。(2013年10月14日;田中茂雄)

【NEWS 04 】「長澤理玄の勉強会」決まりました。
[第1回目]10月19日(土)夜7時〜8時半。[2回目]10月31日(木)夜7時〜8時半
 

2013年10月6日(日)アップ。

ようやく準備が整いました。第1回の勉強会を10月19日(土)夜7時から8時30分。会場は一度は訪れてみたい歴史的な建物、旧肴町の二業鍵見番(現在は本町二丁目東区民会館)です。理玄が種痘を施した長澤病院があった地区に建ってます。地元の勉強会として開催されますが。長澤理玄に興味をお持ちの方は、どうぞご参加ください。入場は無料です。スタッフは6時半に会場で準備しています。勉強会ですので、筆記用具をお忘れ無く。お茶の用意もありませんので、飲み物は各自ご用意ください。それと、館林の方はご存知ですが、城下町の面影をのこしている旧市街ですので、駐車場はありません。

回覧 ▲町内会に配布した回覧。一般の方の参加も歓迎です。

勉強会当日はマスコミの取材が入る予定です。

郷土の偉人の業績を広く知らせ、多くの共感を得るために、マスコミ各社の多大なご協力を必要としています。
勉強会の告知、取材、記事を紹介してもらい、勉強会の次に企画している「理玄の足跡をたどる町歩き(フィールドワーク)」の参加を促し、来春に開かれる「長澤理玄展」につなげたいのです。 マスコミ各社には継続的な応援をお願いします。
というのは、2015年長澤理玄生誕200年が迫ってます。この記念すべき年に、なんとしても、市民の募金による記念碑を建立させねばなりませんから。自分たちのご先祖が命を助けていただいたのですから、じぶんたちで恩返ししましょう。

【NEWS 03 】山形の長澤理玄種痘碑の調査。 
2013年9月30日(日)

好天の日。東京から一路山形へ。事前にグーグルマップで種痘碑の場所を検索。迷わず薬師公園につきました。早朝6時半に千代田区を出発。東北道、山形道を経由して山形へ。種痘碑には11時30分に到着。(4時間かかりました)山形は気温22度、雲ひとつ無い秋晴れ。薬師公園は手入れが行き届いた緑豊かな公園で山形県護国神社に隣接。おりしも七五三シーズン(徳川綱吉の息子・館林藩主・徳松の成長を祝ったのが起源といわれる)、着飾った家族も多く華やかでした。また同じ公園内に歴史のある出羽国分寺薬師堂がある。

撮影後、スケールで実寸を測定。石碑の長さは2m70センチ。巾は1m20センチ、厚みは20センチ。長さは露出している部分を測りました。土台に埋もれている部分は不明だが、約10センチ位か。それをプラスすると2m80センチ。土台は円錐状に丸い大きな石を組む合わせて造られていてストーンサークルのようでもある。地面からは1mほど盛りあがっているので、石碑の背が高く、立派な印象。通常の顕彰碑と違って土台の石に腰掛けることもでき、登ることもできる。遊び場のような、親しみやすい記念碑といえる。

理玄の石碑山形

取材・撮影・図制作:館林城の再建をめざす会田中茂雄 2013年9月30日

長澤理玄が喜ぶ写真が撮影できました。

多くのこども達に種痘を施し天然痘の予防に尽力した長澤理玄。理玄はまた、こども好きでもあった。
薬師公園で遊んでいた山形のかわいい少女に協力してもらい石碑と一緒に撮影。石碑の大きさもわかる。
このこどもも理玄に種痘を施された子孫に違いない。(こどものお母さんに石碑の由来を説明して協力してもらいました。)種痘碑と少女長澤理玄・種痘碑と山形のこども。 (2013年9月29日撮影)


【NEWS 02 】プロジェクトの進行会議を開催 
2013年9月26日20時〜

長澤本家へのあいさつを終えて、さっそくその日に進行会議をスタート。まずは勉強会の段取りを決める。
会場の二業見番(町内会の施設として使用している)の予約。日時と準備。渉外活動などを決める。
以下、「長澤理玄プロジェクト」工程表です。

プロジェクト進行表

プロジェクトの行程チャート。生誕200年までわずかな時間しかない。いそがなくては。

【NEWS 01 】長澤理玄の本家にごあいさつ 
2013年9月26日

このプロジェクトを始めるには、まず最初に長澤本家の承諾を得ないといけません。石村先生に連絡していただき、ようやく長澤理玄の本家を訪問できました。事前に石村先生からプロジェクトの説明がなされていて、快諾していただきました。
ありがとうございます。さっそく長澤理玄の仏壇にお線香をあげ、このプロジェクトが無事に成功しますようにとお願いしました。
仏間に飾られた理玄の肖像画の実物を拝見。本物に接することが大切だとわかります。許可を得て撮影をしました。

理玄肖像画

撮影:2013年9月26日、額縁の表面がガラスなので室内が反射して見づらい写真になってしまいました。(撮影:田中)

【長沢理玄プロジェクト スタート】 このニュースが一番古いです。ここからスタート 
2013年9月23日(秋分の日)

上州初の種痘は館林で嘉永4年(1851年)に行われた。長崎に種痘法(牛痘)が伝わったのが1849年。わずか2年後のことだ。
種痘を施したのは館林藩医・長沢理玄(1815〜1863年)。10年間で約9000人に種痘接種を施した。館林と館林藩の飛び地である山形でも接種。多くの命を救ったことになる。山形では長澤理玄の功績をたたえた記念碑が建っているが、館林にはなにもありません。
館林で生まれ育った人間として、これは恥ずかしいね。何とかしなくてはということで始めたプロジェクトです。2013年10月から具体的な活動を始めます。理玄生誕200年まで、あと少し。それまでに形を残したい。

1)長澤理玄の名声復活。現在、館林市民で長澤理玄を知っている人は消費税(5%)位かもっと低い。初期の消費税3%くらいか?せめて、田山花袋なみに広めたい。
2)長澤理玄の記念碑建立。館林で代々生まれ育った人なら、自分から3〜4代前のご先祖が長澤理玄から種痘を受けているはず。恐怖の天然痘から命を助けられた子孫です。今からでも遅くありません。みんなで協力して(種痘接種は藩主・秋元公の指示により無料でした。今からその費用を払ったつもりで寄付をしましょう)立派な記念碑を建てましょう。
記念碑は長澤理玄の診療所があった金山地区に(館林駅から市役所への道に面した場所が多くの人に見てもらえるのでベスト)建てましょう。

理玄チラシ表面

イラスト;泉 雅史   デザイン・制作:館林の再建をめざす会 田中茂雄 (2013年9月)