応声寺

【応声寺】(おうしょうじ)


[解説]
鎌倉時代末、徳治元年(1306)遊行寺二代真教が長福寺という念仏道場を内伴木付近に建てのがはじまりという。榊原康政が城郭拡張のさい城下・鞘町へ移転させる。さらに綱吉時代・延宝年間(1673〜81)木挽町へ移転。
応声寺は館林築城以後、城下町に時を知らせることを担当した寺。天和3年(1683)廃城の際、綱吉時代の時鐘を下賜された。鐘は県重要文化財として保存されている。寺名は初め長福寺。徳川吉宗の長子(家重)の幼名が長福丸。これを避け、時報担当の寺、応声寺に改めたという。
応召寺旧名

[応声寺の鐘]有名な綱吉時代の鐘。応声寺鐘の解説

(2018年1月6日アップ)

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