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千代田区が企画したお城の展覧会!「江戸始図」と「真田丸」絵図が魅力!
【特別展示・松江城と江戸城】
会期:9月9日〜11月19日。 会場:日比谷図書文化館 1階
「江戸始図」原本の特別展示、松江から来てくれた、ありがたい。
2年前、松江城が国宝に認定され、松江の歴史が盛りあがるなか、江戸初期の城絵図が発見されたというニュースには驚いた。
城絵図の名前は「江戸始図」しかもその絵図が納められていたタイトルが「極秘諸国城図」。いいね。
隠密がその情報力を駆使し収集した絵図というイメージが膨らむ。
今年の江戸城関連情報ではトップニュースだった「江戸始図」。詳しい新書も発売された。
この新書は役にたった。
今年9月に「江戸始図」原本を見ることができるとは・・・幸せ。
注目の「江戸始図」が千代田区で展示される。
千代田区に住んでいるので、区の広報紙で知った。
家康が築城した江戸時代初期の本丸構造が今まで不明であったという。
今回の発見で、天守の構造、石垣、土塁、堀など本丸の様子が明らかになった。
タイムリーな企画を千代田区が行ったのは嬉しい。(城好き、区民税納税者としても・・)
▼フライヤーなど広報宣伝物は立派。図録もレベル高い。お金をかけている
【会場は日比谷図書館のなか、入場無料なので、スペースは広くない】
2013年の館林で開催した「よみがえる館林城展」の方が規模が大きい。
(展示悪品も展示スペースも・・・館林の方が充実している。個人でがんばりました。千代田区は展示企画予算は軽く1千万を超えるだろう。館林城の再建をめざす会開催の企画展の貢献やいかに・・・。)
展示の説明は最小。図録を購入しないと企画意図がわからない。
図録に注ぎ込むエネルギーが10としたら展示は1。しかも全て写真撮影禁止。千代田区も勘違いしている。
写真撮影禁止は特別な展示以外は自由にすべきである。上野にある東京国立博物館方式にすべき。
▼会場入口写真。展示は小規模である。
【江戸始図】小さい! 横40センチ×縦27センチ。約B4サイズだ。
「極秘諸国城図」は約60年前に松江市民が松江市へ寄付したもの。(昭和28年寄贈)74枚の城絵図。
脚光をあびたのがNHK大河ドラマ「真田丸」でのこと。大阪城真田丸の絵図が発見されたとしてニュースになりNHKのドラマでの再現に役立った。それまで、ひっそりと松江市で眠っていたのだ。
ちなみに「極秘諸国城図」に館林城は収録されてない。(群馬県では厩橋城(前橋城)のみ収録。)
今回の企画展では真田丸、浜松城、松本城、江戸始図、今江戸図の5点。
「江戸始図」は慶長12年〜14年(1607ー09)の江戸城を描いた最古級の絵図。
慶長12年当時の館林といえば、榊原康政が館林城の築城をはじめたのが1600年。館林城の完成を指揮した康政が1606年6月になくなり、三男の康勝が後を嗣いだころだ。大阪の陣が始まるのが慶長19年なので、なにかと緊張感のある時代だったはずだ。
この時代の城絵図は高度な軍事機密である。防御の要となる堀と石垣、土塁が極めて精密に描かれているのは納得。
同時に展示されている「今江戸図」は1650から70年代の江戸城と推測されている。
江戸始図のポイントを赤枠で表示。 (絵図の所蔵は松江歴史館)
「今江戸図」。綱吉時代の江戸城。慶長期との比較用らしく。家臣の屋敷名が書かれてない。すっぴんの江戸城図。
黒い太線は石垣。この絵図の作者は石垣に執着している。私もそうなので同好の士として親近感を感じる。
【松江城】平成27年に国宝となった城。4重5階天守
(松江城天守 1階サイズ10間×12間。 館林城天守・3重櫓は8間×8間)関ヶ原の戦いで家康に味方した秀吉配下の武将堀尾吉晴が築城した。
堀尾吉晴、我がご先祖の一門である田中吉政のお友達だ。豊臣秀次の補佐役として5名の人材が選ばれ、宿老(家老)となる。
筆頭宿老は田中吉政で以下、堀尾吉晴、山内一豊、中村一氏、一柳直末。実にそうそうたるメンバーだ。
田中吉政と掘尾吉晴は共通点が多い。
ともに関ヶ原の戦いで家康につき戦功をあげ領地を増やす。吉政は岡崎10万石→筑後32万石。
吉晴は浜松12万石→出雲・隠岐24万石。(吉政は石田三成を捉えた功績が大きい)
そして2代目が共に若死にし無嗣断絶(中村一氏も同様だ。一柳直末は1590年北条攻めの緒戦、山中城の攻防で銃弾に当たり戦死)。
秀吉配下の5名の宿老中4名が無私断絶。これって絶対に徳川の謀略。暗殺/毒殺されたのだろう・・・) 家康恐るべし。
秀吉配下の武将は同じ運命をたどる。山之内一豊だけは例外だが・・・。
◎築城の名手
田中吉政(秀次が築城した近江八幡城は田中吉政が実行した。岡崎城を現在の形に改良。筑後柳川城も有名だ!)も堀尾吉晴も築城の名手、松江城を築城し国宝になった。嬉しいね。一豊は掛川城を造り、その後高知城も造る。一氏は米子城。
●
ご先祖さまが堀尾氏に面識があるので何とも親しみを感じてしまうのだ・・松江城。
実物を見てないが、いずれ見学に行きたい。
【堀尾氏から京極氏、そして松平氏へと城主が変わる。】
堀尾氏が謀略でいなくなった後、京極氏が入国。京極氏と言えば近江の名門佐々木氏系統の家である。田中吉政も近江出身。不確かな系図では佐々木氏系統をにおわせていたこともある。(源平藤橘・・・摩訶不思議。人類皆兄弟だ)
一時期佐々木氏をしつこく調べたこともあり、京極氏に親近感を感じる。(頼朝が伊豆に流されたときに従ったのが佐々木4兄弟だ。ほかに、佐々木道誉が有名。京極氏、六角氏も近江源氏・佐々木系だ。)
京極忠高は3年後亡くなる。またもや無嗣断絶だ。
家康の次男・結城秀康(本来なら将軍になれた人物。福井藩68万石)の子どもで福井藩主の問題児・忠直の弟が松平直政。
寛永10年(1633年)信濃国松本7万石から松江18万6千石へ入国。
直政は家康の孫なので松平家は安泰。徳川親藩として明治まで続いた。
これも実に奇遇。
私の高祖父は福井藩士だ。
ご先祖様は田中吉政の子・忠政が亡くなり無嗣断絶となり失職した、浪人となる。その後、福井藩に就職できた。福井藩は大藩で人材が足りない。求人が多かったのだ。石田三成を捕縛したご先祖さまは再就職に有利な武功があったのだね。履歴書が良かったのだろう。
再就職雇用主の親戚が松江城の城主となったのだ。福井藩の親戚藩。
【松江城古写真。城を守った人達】
図録に貴重な古写真が掲載されていた。明治8年頃の松江城だ。
私は古写真が好きだ。フォトショップ(画像編集ソフト)で見やすいようにレタッチして掲載している。
撮影者は不詳。
天守部分のアップ写真▼
よく見ると二の丸御殿は朽ち果てつつある。石垣は健在だ。お堀も堀浚いをしてないので水草が繁茂しつつある。
松江城も明治の世になり、政府より「廃城令」が出され取り壊しの危機となる。
歴史ある松江城を救う運動が始まった。(全国の多くの城でこうした活動が起こった。姫路城も同様の運動があり現存となった)
地元の豪農・勝部本右衛門栄忠(かつべ ほんえもん しげただ)、影浜(かげはま)親子、
旧・松江藩士・高城権八(たかしろ ごんぱち)ら有志の奔走によって松江城は守られた。
現存している城郭にはこうした人達(真の偉人である)の熱意と努力があってこそ、今に伝わった。
館林城も旧藩士達が協力して三の丸が残った。
「館林城の再建をめざす会」もがんばります。
千代田区が企画したこの展覧会を鑑賞して、「よみがえる館林城展」を5年振りに開催したくなった。
(2017年10月3日アップ)
追加情報【現在の松江城写真 2017年10月撮影】
私のデザイン事務所に勤務していた優秀なデザイナーが、最近松江城を見学したという。さっそく写真を送ってもらった。お城の写真はいいね。
(2017年10月30日アップ)