最新情報/館林城調査・研究・提案

当サイトの 岡谷荘三郎について
問い合わせがありました。
「万延元年遣米使節 子孫の会」からです。

 

「万延元年遣米使節 子孫の会」事務局の長野さんからメールをいただきました。
その内容は---------------------------------------
「 今般、田中様が製作運営されているHPの中に、
万延元年遣米使節の外国奉行支配役 塚原重五郎昌義の従者として参加された、
館林藩士 谷村左右助勝武のことが詳しく記載されているのを拝見させて頂きました。
万延元年遣米使節子孫の会は日米修好通商条約が批准の150周年の年に発足されました。
当会では、1860年当時の遣米使節の子孫を探しておりますが、
現在のところ判明できているのは77人の内十数名に留まっております。

館林に岡谷荘三郎のご子孫はおられるのでしょうか。
--------------------------------------------- 」 といったものでした。
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自分の興味のあることだけを、掘り下げて、勝手にホームページにアップしていますが、当事者からの反応は、とても嬉しいです。
何かのお役に立てたことが、まずうれしい。そして、館林藩士 岡谷荘三郎とその父・瑳磨介のことを知ってもらって嬉しい。
しかも、長野さんは、なんと遣米使節団の最年少、立石斧次郎ことトミーの子孫と知りとても驚きました。
トミー斧次郎は、イチローや松井ゴジラやダルビッシュ以上にアメリカで愛された最初の日本人です。
以下のコラム参照。
トミー斧次郎
万延元年遣米使節団を調べれば必ずわかる有名人です。その子孫のである長野さんは群馬県とゆかりがあります。
長野さんは箕輪城・城主の長野氏の子孫でもあります。ということは群馬県生まれのヒーロー、剣聖・上泉信綱(新陰流を創設)が仕えたことがある家です。
歴史は生きてますね。

その後、何回か連絡を取り合い情報を交換しました。
教えていただいた情報ですが、「群馬風土記」という季刊誌に山田秀穂氏が「 岡谷荘三郎の洋行」という原稿を連載していました。
知りたい情報が得られました。感謝です。

子孫の会のサイトは以下をクリック。どうぞご覧下さい。
万延元年遣米使節子孫の会HP 

【ビックリ情報追加!】
8月7日、中学時代からの友人Aくんと会う機会がありました。「館林城の再建をめざす会」の活動を話しているときに、話題が遣米使節団になりました。すると、友人は外務省の外郭団体の仕事でワシントンに駐在中、村垣さんという後輩がいたそうです。なんとその村垣氏は遣米使節団の副使で村垣淡路守範正の子孫でした。世間は狭いね。
遣米使節代表3名
▲万延元年(1860年)遣米使節団代表メンバー。
左から副使・村垣範正(48才)。正使・新見正興(40才)。監察(目付)小栗忠順(32才)。
写真はワシントンのホテルで撮影された。(詳しくは 岡谷荘三郎のサイトをどうぞ)
(2014/08/14アップ)