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【杉並木研究】失われた貴重な文化財、館林道(日光脇往還)の杉並木。実にもったいない!
【日光への街道整備のために整えられた杉並木、館林地区・青柳〜新宿】
2013年8月9日
杉並木といえば今市市に残る日光杉並木が有名だが、上の写真を見て欲しい。(写真は館林文化史談会のKさんから)
すばらしい杉並木の景観が広がっている。これぞ、日光へと続く日光脇往還(別名:館林道、別名:千人同心街道で、日光社参や参勤交代の大名が通った街道)に残っていた杉並木。
場所はわれらがふるさと館林の六郷・青柳あたり。ブラボー!
館林の杉並木は、幕末の安政2年(1855年)記述によると、新宿にある遍照寺(へんしょうじ)脇から始まり川俣方向(南)へ小桑原を通り青柳にいたる1.5キロの長さであったという。(写真のように両側ともに杉並木になっているのは、遍照寺付近と青柳の一部であった。)植樹を行ったのは館林藩主松平清武が始めたといわれる。宝永年間(1704年〜1710年)のこと。昭和30年代の杉並木は青柳地区だけに残っていた。私の記憶でも新宿に杉並木は無かった。
日光の杉並木は松平正綱が1625年から20年にかけて植樹したもの。館林の杉並木は日光より80年ほど若い。それでもこの写真の杉は樹齢250年を越えている。立派だ。
写真は昭和30年代前半の杉並木、貴重なカラー画像である。
当時の道路は写真のように舗装されてなかった。市中にある南小学校の周辺(正田別荘の前の道も)道路でさえ、私が通っていた昭和30年前半は舗装されてなかったのだ。
昭和40年代の初めでさえ、藤岡県道などは舗装されてない。中学1年生の時(昭和40年)同級生の家へ遊びに行ったことがある。(観音地区というところで、二中から自転車で1時間もかかる場所)途中の細内や山王などの集落の一部のみ舗装されていて残りはほとんど砂利道。ひどかった。
写真の中央に大きな荷物を積んだ自転車が写っているが、自転車は道幅の広い車路を通っているので、歩道と車道が分離されているように見える。この状態で保存してほしかった。車路は一方通行にして杉並木の隣にバイパスの道(片側車線)を作れば、この1.5キロの区間だけ保存できたのではないか。(杉並木の周囲は畑なので、そこにバイパスを通せば・・・・後からでは何でも言えます)
杉並木の左に広がる畑は麦畑のように見える。3人の子どもは六郷小学校の生徒だろう。のどかで、なんとも味わいのある景観だ。
南フランスの農村のような印象を受けるね。ゴッホだったら絶対に絵を描くに違いない。道路の土の色も赤土で外国のような景色だ。
この景観が、昭和38年に失われてしまった。(昭和38年と言えば東京オリンピックの前年。急激な変革期だった。私は小学6年生。ビートルズのプリーズ・プリーズ・ミーがヒットしていた)
道路拡張のため、このすばらしい杉並木を伐採してしまったのだ。残念なことをしたものだ。なんとか残せなかったものだろうか、そのための智恵はなかったのだろうか、住民の協力はなかったのだろうか。住民の反対はなかったのだろうか?
せめて、片側だけでも残してくれなかったのか・・・・。(当時、館林でビートルズとクレージーキャッツにうつつをぬかしていた小学生の私の耳に、恥ずかしながら杉並木伐採の反対運動は聞こえてこなかった。知らなかったのだ。)
確か、わたしの姉はこの杉並木を油絵で描いていた。
道路拡張といってもわずかに道幅を広げたのみ。現状の写真を載せるのも憚られる。中途半端で殺風景な景観になってしまった。
毎年、夏が来れば館林の高温記録を思い出す。
この杉並木が残っていれば、この景観が涼やかな印象をもたらしたに違いない。
そこで、デジタル技術で杉並木を復元しました。ご覧下さい。
(写真1)現状の道路。殺風景な景観だ。(写真2〜4)杉並木を重ねてみました。歴史を感じさせる景観に!復活させたいね。
▲合成写真制作:田中茂雄 2013年8月9日
▲アニメーション制作:田中茂雄 2013年8月12日
貴重な杉並木の写真をお見せします。写真撮影の場所は青柳付近です。この景観は間違いなく日光への街道ですね。栃木県今市に残る杉並木と遜色ありません。
カラー写真と違い青柳の杉並木の写真は杉の根本の盛り土が土塁のようになっている。これは日光の杉並木と同じ構造だ。
参考図書は川島維知編:「写真集館林」国書刊行会 1978年発行
▲昭和22年(1947年)9月撮影の空撮。畑と集落と道の景観は幕末の絵図とかわらない。
以下の絵図はそれから100年前の杉並木。
▲絵図面デジタル修正:田中茂雄(2013年8月13日制作)
「封内経界図誌」館林市立資料館蔵より
お願い:杉並木について写真をお持ちの方、詳しい資料をお持ちの方メールください。待ってます。(田中)