最新情報/館林城調査・研究・提案
- 2017年11月「城の科学」オススメ本
- 2017年10月。小栗上野介首級奪還ルート
- 2017年10月。『古文書塾てらこや』
- 2017年企画展『松江城と江戸城』
- 渡部昇一絶賛!名著『名将言行録』
- 司馬遼太郎「花神」に館林藩士塩谷良幹が・・
- 2017年7月20日。足高OB会
- 2017年7月。宇都宮大学・公開講座
- 2017年5月。東善寺ツアー
- 2017年4月。美しい館林を散歩
- 東京国立博物館蔵「榊原康政 甲冑」
- デ・アトキンソン著「新・観光立国論」
- 第41回館林市近県剣道大会・2016年
- 那須烏山市「地域ブランド開発」セミナー
- 第25期上毛新聞オピニオン委員
- これからだ! 烏山城
- やったね! 金山城
- ブラボー! 唐沢山城
- 再建をめざす会母体は元気!・二中同窓会
- 群馬テレビ「トリビア図鑑」館林城を紹介
- 「石城日記」ふたたび登場!新刊紹介
- 向井千秋氏を都知事に!
- 前橋市歴史文化遺産活用室[第1回勉強会]講師に
- お城再建事例02[掛川城]お手本になる城
- 映画『喜劇 駅前茶釜』
- 城下町・お寺プロジェクト第一弾
- 城下町・和菓子屋さんプロジェクト
- T.pj news(Tプロジェクトニュース)
- 宝林寺(千代田町)と広済寺の鐘
- 大岡敏昭著「武士の絵日記」
- 「渡良瀬通信」2015年4月号。インタビュー記事
- 2015年 鷹匠町にビストロSUGIE(大手町)オープン!
- 2015年2月 足利で館林城の講演
- 2015年1月 ニュース
- 2014年11〜12月ニュース
- 絵はがき/城下町城門シリーズ、新聞記事
- 館林城・絵はがき/城下町城門シリーズ
- 館林市制60周年企画展「徳川綱吉」
- 安西水丸著「ちいさな城下町」
- 万延元年 遣米使節 子孫の会
- 館林(秋元)藩 石高 [表高と内高]
- 生田 萬 揮毫「小暮照房石碑」
- 懐かしの館林写真集、2冊発売
- 館林女子高ボクシング部記事
- 歴史好きにオススメの経済本
- お城再建事例01[山形城]いくらかかるの?
- 「長澤理玄展」2014年5月
- 「さよなら名建築」またひとつ景観が
- 「甦れ!江戸城天守閣」(著者:松沢成文)
- 「剣術修行の旅日記」(館林藩校道場の記述)
- 旧・二業見番(勝手に重文企画)
- 館林城を講演でアピール
- 明和町S氏邸にある綱吉時代の石垣石
- 2013年東京都シニア空手大会準優勝
- 長澤理玄プロジェクト
- 読売新聞掲載2013年11月1日
- 「よみがえる館林城展in足利」
- 種痘の碑(山形市)
- 日光脇往還・杉並木
- よみがえる館林城展オープニングパーティー
- よみがえる館林城展プラス情報
- 上毛新聞掲載2013年5月2日
- 上毛新聞・シャトル連載2013年4月
- よみがえる館林城展2013
- 石垣石探検隊
- 上毛新聞掲載2012年10月
- 「東北遊日記」吉田松陰
- 「お国替絵巻」山田音羽子
- 館林城絵馬(尾曳稲荷社蔵)
- 館林城・絵はがき
- 城下町散歩
- 堀・(土塁)調査
- 建築家による館林城研究
- 三重櫓・研究
- 榊原康政・調査
- 館林城調査
館林城・城下町散歩
【その1:建築家・菊竹清訓作品=館林市庁舎(旧)、そのモチーフは城であった】
2012年5月15日
日本の著名な建築家・菊竹清訓(きくたけ・きよのり、1928ー2011)、黒川紀章らと共に建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築のメタボリズム(新陳代謝)を提唱する。代表作に「万博・エキスポタワー」「沖縄海洋博・アクアポリス」「江戸東京博物館(両国)」「銀座テアトルビル」「九州国立博物館」など。
館林市庁舎は1963年に竣工。(菊竹建築設計事務所を1953年に開設したので、初期の気合いの入った作品。メタボリズムの主張が市庁舎の形状に反映されている。どんないきさつで新進気鋭の建築家・菊竹清訓に設計を依頼したのか知らないが、(今の感覚でいえば、市庁舎を30年前の安藤忠雄に依頼するような感覚かな・・)かつての館林は新しいものを積極的に取り入れるチャレンジ精神があった。(群馬県で最初の民間銀行の開設は館林市など・・・)進取の気風があったのだ。
館林市庁舎と同じ年に(1963年)竣工した「出雲大社庁の舎」
で建築学会賞を受賞。世界的な建築家でもある。昨年(2011年)83歳で亡くなる。
(設計の依頼は大学繋がりのようだ。当時の遠藤市長と若手建築家・菊竹請訓は同じ大学。2012年8月16日加筆)
(詳しくはwikiでどうぞ・菊竹清訓)
完成したのが昭和38年(1963年)、私が小学6年の時。その年、課外授業で市庁舎見学があった。その建物は、館林で最初の高層建築。そしてエレベーターのついた初めての建築だった。見学はワクワク・ドキドキで、その時に初めてエレベーターに乗ったのだ。動き出しの初動を今でも鮮明に覚えている。(このときほとんどの児童が初めてエレベーターに乗ったのだ、ちなみに私の記憶では館林に登場した最初のエスカレーターは藤五ストアー)エントランスから庁舎へはブリッジで結ばれていて、こどもの目にはとても新鮮で素晴らしい建築空間だった。庁舎の内部は光が溢れ、明るく開放的だった。(仕事をしていた市職員には、暑くて不評だったらしい。(館林は酷暑で有名)
現在は保健福祉センターとして利用されている。外観も当時のままだが建物の周囲に堀のような池が埋められ、駐車場になってしまった。建物の周囲を水でかこみ、太鼓橋のようなブリッジで出入りするのは、館林城というか、城郭建築へのリスペクトでしょう。 館林市庁舎は60年代の菊竹清訓の思想が反映された建築。近年、菊竹らの提唱したメタボリズムが再評価されている。(森美術館で開催された展覧会など、下にポスターの画像を掲載)
旧・市庁舎は自由に入れるので建築を学んでいる学生にとっては菊竹建築を体験できる貴重なもの。市も積極的にアピールすればよい。
市庁舎のエントランス(2012年5月5日撮影)
旧・館林市庁舎(現・保険福祉せンター) 館林仲町14-1 電話0276-74-5155
館林駅から徒歩12分
【参考資料:黒川紀章設計佐倉市庁舎(1971年)】
千葉県佐倉市の市庁舎。館林市庁舎とよく似ています。同じメタボリズムの設計思想が流れてますね。
(写真:wikiから転載)