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- 上毛新聞掲載2013年5月2日
- 上毛新聞・シャトル連載2013年4月
- よみがえる館林城展2013
- 石垣石探検隊
- 上毛新聞掲載2012年10月
- 「東北遊日記」吉田松陰
- 「お国替絵巻」山田音羽子
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【2017年5月7日GW最終日。倉渕町権田、東善寺へ】
館林第二中学・ミニ同窓会---東善寺ツアー---
[東善寺ツアーまでの経緯]-----------
昨年12月、上毛新聞「オピニオン21」に館林城の再建をめざす会として原稿を掲載しました。
掲載翌日、記事を読んでくれた読者からメールが届いた。
メールを読むと、なんと、中学1年のクラスメイト・Y本さんでした。(50年ぶり)
メールに書かれたアドレスが高崎市倉渕町。
倉渕町といえば、東善寺だ。
館林藩士 岡谷荘三郎の調査でお世話になったお寺です。
日米修好通商条約批准書交換のために遣米使節団が結成され、館林から唯一参加したのが荘三郎だ。
館林藩の藩政改革を成功させた名家老・
岡谷瑳磨介の息子です。
(瑳磨介はお国替え絵巻で有名な山田音羽さんの弟。お墓が法輪寺にある。)
遣米使節の調査をしていて、最も参考になったサイトが東善寺のサイト。
そこで初めて、小栗上野介の業績を正しく知ることができた。ぜひとも東善寺へ伺いたいと思っていたので
返信メールに、倉渕町なら東善寺をご存知ですかと書きました。
すぐに返事が届いて、ビックリ仰天!!!
「わたしの家が東善寺です。」??
なんと、同級生のY本さんが東善寺の奥様になってました。
「あたたくなったら東善寺へおじゃまします」と再度返信。
桜の咲く頃に倉渕を訪問しようと企画していたが、突然、二中の同級生で仲間のひとりM田さんが館林市議選補選(4月2日投票日。友人は大勝!)に立候補。その選挙活動のお手伝いをすることになり、倉渕訪問をGWに延期することになった。
せっかくの東善寺訪問なので、二中同級生に声をかけ「東善寺ミニ同窓会ツアー」を企画した訳です。
●
5月7日にようやく倉渕町権田の東善寺へ。参加者は女子5名、男子4名。
季節は行楽シーズン、しかもGW最終日だったので混雑もなし。
●朝8時、館林市出発→→国道50号→→北関東自動車道・駒形ICで降りて前橋へ。(1時間15分)
同級生M沢くんが3月から前橋市居住。前橋市でアトリエを開き地域貢献活動の拠点としたのです。
今後の活躍が楽しみ。
註)M沢くんは日本にフィルムコミッション(映画ロケをサポートする組織)を導入し定着させた映画界の著名人。(3月まで山梨県立大学教授)
企画行動力抜群の人材なので、前橋市は超ラッキーですね。(活躍拠点を前橋に作ったので)
前橋(天川町)で合流し総勢9名で東善寺へ向かう
(前橋から1時間15分)
11時に到着。
●
50年ぶりにY本さんと再会。懐かしいです。ご主人の東善寺住職・村上泰賢氏も丁寧に迎えてくれました。感謝。
まずは東善寺 写真(カメラの露出を誤ってしまい。暗い写真に。フォトショップで補正したが色が変)
【館林の法輪寺と小栗上野介親子】
村上泰賢氏から小栗忠順のお話しを伺いました。
とても楽しくて時間がたつのが早い。
メインのお話しは館林との関係。有名な事件、名付けて『上野介首級奪還大作戦!』
(上野介親子の首実検が館林で行われて、首は法輪寺へ葬られた。1年後権田村の村人が首を取り戻した)
法輪寺への手引きを細内(館林にある地域)に住む渡辺さん(渡辺忠七)が協力した。法輪寺の住職も黙認したという。手引きした渡辺さんの取り調べ調書とその後の状況を記した資料などを見せていただいた。
すると、
岡谷瑳磨介の息子・南條新六郎氏(嘉永元年〜大正9年)が登場するではありませんか。
※
南條氏は長澤理玄により群馬県で初めて種痘をうけた4人のこどもの一人。 実業家となって館林に多大な貢献(町長・熊谷直方と協力して館林に鉄道を誘致)した。日本製粉創業者のひとりでもある。遣米使節団の 岡谷荘三郎の弟でもある。
南條新六郎氏が細内(二中の学区で、今回ツアーに参加したK高さんも細内出身)の渡辺さんの息子さんへインタビューして首を取り返す手引きの状況を書き記した。
さすが、教育一家の岡谷家、著名な白蓮院( 岡谷喜津さん)のお孫さんだ。南條新六郎氏が書き記した文書なら間違いなく正しい。
太鼓判です。
首を取り返された法輪寺のご住職は自ら謹慎して寺を去った。幼い娘さんと放浪したとのこと。
その娘さんの子孫が、後年、東善寺で泰賢住職と出会ったそうである。
泰賢氏は権田村を代表して、お詫びをし、感謝したそうだ。
法輪寺のご住職は首の発掘(官軍サイドから言えば、盗掘)を黙認し、墓を掘り返した汚れを落とすようにと風呂まで沸かしたそうだ。(昔の館林人はエライね。)
先を急ぐ権田の人は申し出を断って急いで倉渕へ向かったという。
その子孫のご婦人は涙をながされた。
(良い話だ。歴史は現在も繋がっている・・・・。)
●
▲爽やかな5月の倉渕町というより倉渕村。山の新緑が目に優しい。空気もうまい。
「館林城の再建をめざす会」を支えている二中同窓会・東善寺ツアー参加者。
後列左から、田中。M沢くん、I島さん、K松原くん、I上くん
前列左から、Y本さん、K高さん、M田さん、F川さん、A井さん。(全て旧姓)
小栗上野介との縁で横須賀市が市政80周年記念事業として建てた「はまゆう山荘」で撮影・
※撮影をお願いした宿泊客の若いお父さん。写真の腕前がプロ。(プロかも・・)構図がすばらしい!
海外の有名リゾート地に建っていてもおかしくない素晴らしい建築で驚きました。
(ロビーがムダに立派すぎるともいえるが・・)
「はまゆう山荘」次回は温泉に入って宿泊したい。
註)「はまゆう山荘」は昭和62年(1987年)。バブル最盛期に建設。
バブルが一概に誤りとは言えない。パワーある時代を反映した建築の魅力が満載。良いです。
その後、平成17年横須賀市から倉渕村へ移譲(寄贈?)された。
(維持費がたいへんだろう・・。現在は高崎市が管理している。 ホシノリゾートに任せた方が良いかもしれない)
横須賀市はこの山荘に幾ら使ったのだろう。
館林城三層天守と石垣が再建できる金額だろう。
●予算判明。
昭和62年3月竣工。当時のお金で建築資金15億円。付帯工事を含めると約17億円。
土地は倉渕村が50年間無償提供。
(高崎市ホームページより検索)
※40年前と現在の貨幣価値を考えると、25〜30億円かな。天守の再建は十分可能だね。
(2017年5月8日アップ)